2012年7月31日火曜日
ルノーRS01/ルネ・アルヌー/1979/カルツォ
1979年のアルゼンチンGPモデル(第1戦/1月21日本戦)です。ドライバーはルネ・アルヌー。
1978年に念願のルマン制覇を果たしたルノーは、いよいよF1に本腰を入れはじめます。チームも2カー体制に移行。その第1戦ですね。
ドライバーのアルヌーは前年にマルティニからF1にデビューしたもののチームは途中撤退。終盤戦をサーティーズから参加し、そしてルノーへ。なんだか順調なステップアップだなあ(笑)。
ただルノーで挑んだ初戦はなかなか厳しいものとなりました。
アルゼンチンGP予選は最下位の24位。オートスポーツ1979年3-15号を読むと、実は予選落ちしていたみたいです。
「アルヌーのほうは、3基ものターボ・エンジンをブローアップさせ、予選の走行はわずか14周というありさまで、クォリファイに失敗。『いまは1台だけに望みを託すことになってしまったが、この1台にもそれほど期待はかけられない。この暑さがつづけば、トラブルなしでレースを終えることはむずかしいだろう』とルノー・チームのマネージャー、ジャン・サージュは、強烈な路面の照り返しを避けながら話した。ミシュランのサービス・マンが計った路面温度は43℃を記録し、日陰でさえ37℃という猛暑なのだ。」
オーバーヒートに悩んでいたターボエンジンにとって、このコンディションは厳しかったようです。
予選を通過できなかったアルヌーですが、当日になって、意外な幸運に恵まれます。
本戦のウォーミングアップ走行での話です。
「R.パトレーゼのアローズとN.ピケットのブラバムが高速の右コーナーで接触。『あれは私が悪かった。ブレーキがまったく効かなくなったんだ』とパトレーゼは自分の非を認めた。アローズのフロント・サスペンション・ピックアップがめり込むというダメージで、パトレーゼはレースをあきらめることになった。」
「パトレーゼの欠場により、第1リザーブのスタックに出走のチャンスが回ってきたが、前日のクラッシュでATSが走れない状態のため、けっきょくルノーのアルヌーにチャンスが訪れた。」
2台繰り上がっての本戦出場とはかなりの幸運です。
ただ、本戦は「トラブルなしでレースを終えることはむずかしいだろう」というマネージャーの“予言”を裏付ける結果に終わります。
「R.アルヌー(ルノー)とN.ラウダ(ブラバム)が6周を終えたところで揃ってピット・イン。アルヌーのルノーは煙をもうもうと上げてのピット・インだが、ピストン・リング折損によるオイル・スモークで、ピットにストップしたままリタイア。」
予選は満足に走れず、本戦も6周で終了。アルヌーにとって前シーズンの苦闘を彷彿とさせる、1978年のスタートでした。
とはいえ、この年、アルヌーは実力を見せ始めます。表彰台にも3度あがり、ドライバーズランキングは8位。これはエースドライバーのジャブイーユ(13位)より上だったりします。
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