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2013年9月8日日曜日

ロータス79/マリオ・アンドレッティ/1978/スパーク


1978年の第6戦、ベルギーGPモデルです。本戦は5月21日。

このレースは、“ウイングカー”ロータス79のデビュー戦。ロータス79は第5戦のモナコGPの予選に投入されていますが、このときは78と79両方で予選を走り、ベストタイムを出したのはロータス78。本戦もロータス78で出走しました。

そして満を持して迎えたベルギーGP。オートスポーツ1978年7-15号のレースレポートはこんな文章で始まっています。

「どこからみてもマリオ・アンドレッティの完勝だった。」

モナコGPの予選では実力を発揮できなかったロータス79ですが、ベルギーGPでは最初からその力を見せつけます。

「アンドレッティは、3回行われたセッションのいずれも、2番手のドライバーを1秒以上引きはなしてベスト・タイムを出し、けっきょく1分20秒90の驚異的なタイムでポールポジションを手に入れた。」

このペースは本戦も続きます。

「まるでアンドレッティの独演会のようなものだった。序盤で独走態勢を固め、そのあとは日曜日の午後のドライブのように愉しげに走りつづけた。」

ここからロータス79の快進撃が始まります。同時に、このレースで古いロータス78を駆りながら、ベストラップを記録したロニー・ピーターソンとアンドレッティの「チーム内での戦い」もクローズアップされていくことになります。

2013年9月7日土曜日

シャドウDN8/R.ゾルジ/1977年/スパーク



シャドウDN8の初期が欲しかったので購入しました。送料込みで6428円。

スパークのDN8は、1976年モデルを1台、1977年モデルを2台持っています。今回買ったのは1977年のロングビーチGPモデルです。

ちなみにこの年のロングビーチGP、オートスポーツ1977年6-1号を見ると「アメリカ・グランプリ・ウエスト」という表記になっています。

今回モデル化されたのはゾルジのマシン。予選20位はでした。記述は「11列めにはビンダーとゾルジ。」だけです(笑)。本戦は27周でリタイア。記事では次のように触れられていました。

「その間には、ゾルジのシャドウがやはりギヤボックスを痛めて戦列を去っていた。」

「その間」というのはジョン・ワトソンのブラバムBT45がギヤボックスを痛め、コース上で修理をしたのだけど、マシンに携帯していた工具以外を使ったのがばれて、厳重注意を受けていた「その間」ということらしいです。車に積んだ工具を使いコース上でギヤボックスを修理することが現実的にあり得た、というのは、やっぱりのんびりした時代ですよねえ。

とりあえずオーストリアGPで優勝したジョーンズのDN8と並べてみます。

ロングビーチGPが4月3日の第4戦、オーストリアGPが8月14日の第12戦。この4か月の間にずいぶんとスリムになっています。

2013年9月5日木曜日

シャドウDN8/リカルド・パトレーゼ/スパーク/1977年


1977年の第17戦、日本GPモデルです。

第6戦のモナコGPでデビューしたリカルド・パトレーゼは、このレースで6位に入。この年、唯一の得点を挙げます。

オートテクニック77年12月号で、さらりと触れられていました。

「新人パトレーゼは後半のタイヤトラブルをだまし,初入賞をやってのけた.」

チームメイトのアラン・ジョーンズの前を走る写真も掲載されていました。キャプションはこんな感じです。

「パトレーゼが兄キ分のジョーンズを従える.結局ジョーンズに先を越されるが,6位に入りF1初ポイント」

ジョーンズは4位に入賞しています。

日本GPが行われたのは10月23日。パトレーゼは2週間後の11月6日に行われた「JAF鈴鹿グランプリ」にもシェブロンB42で参戦。日本GPの勢いを駆って見事、優勝をとげます。

ちなみにこのレースにはケケ・ロズベルグ、ディディエ・ピローニも参戦しています。ラルトRT1にのって参戦しているダニー・サリバンは、85年のインディーチャンピオンのダニー・サリバンなのかな。

いちおうこの年のオーストリアGPで優勝したジョーンズのマシンと並べてみますね。


2013年8月29日木曜日

アルファロメオ179/ブルーノ・ジャコメリ/1980/スパーク


 昨年予約したアルファロメオ179です。ドライバーはブルーノ・ジャコメリ。

 1980年のUSイーストGPモデルですね。ジャコメリがはてしなく優勝に近づいたレースです。ジャコメリ曰く「トップを走るのがこれほど容易なこととは信じられなかった」。このレースの詳しい話は、ポリスティルの回に書いているので、特に書くべきことはありません(笑)。


2013年8月28日水曜日

シャドウ DN8/トム・プライス/1976/スパーク



1976年の第12戦オランダGPモデルです。このレースでデビューしたDN8を駆って、トム・プライスは予選3位を獲得。本戦でも4位に入賞しています。

手元にあるオートスポーツ1976年11-1号にこんな記述がありました。

「シャドウのニュー・マシンDN8のデビューは、混乱のドン底にいるチームにしては、大いに買われるものだった。しかし、予選で3番手を獲得したT.プライスの強引なスタートは、モーター・レーシングの安全を唱える者──つまりは関係者全員──から、強い非難を受けるべきものであったことも事実である。まあ、それはともかくとして、DN8のデビューは、注目をあびるに値するものであった。」

どんなスタートかは記事には書かれていませんが、シーズン途中でロータスに移籍するトニー・サウスゲートが手がけたこのマシンはなかなかのポテンシャルを持っていたようです。実際、このマシンを改良したモデルで参戦した翌年のオーストリアGPで、シャドウはF1初勝利を飾ることになります。

タイレル007/J.シェクター/1976/スパーク



1976年の第4戦スペインGPモデルです。このレースでタイレルは六輪のP34を初めて実戦に投入します。ドライバーはパトリック・デバイユ。もう一人のドライバー、シェクターは前年モデル007での出走でした。

このレースでP34は予選3位。本戦でも25周でリタイアするものの3位を快走。その能力の高さを見せつけます。

次のベルギーGPからはP34の2台体制となるので、このモデルは、チームタイレルが実戦に投入した最後の007になるということですね。

2012年11月11日日曜日

タイレル009/D.ピローニ/1979/スパーク



タイレル009は1979年に投入されたマシンです。『F1全史』は「ロータス79をコピーしたかのような新型009(モーリス・フィリップ設計)は改良型ロータス79より良い出来だが、個性なし」とばっさり(笑)。

それでもエースドライバーのジャン・ピエール・ジャリエと、2ndドライバーのディディエ・ピローニは2回ずつ表彰台にのぼっています(すべて3位)。ピローニが最初に表彰台にのぼったのが、今回モデル化された第6戦ベルギーGPでした。

ベルギーGPのレースレポートが載ったオートスポーツ1979年7-15号を見てみます。

ピローニの予選結果は12位。11位はチームメイトのジャリエでした。

「6列目はタイレル009のジャン・ピエール・ジャリエとディディエ・ピローニ。比較的順調に予選を進め、ほとんどトラブル・フリーだった。」

実は名門タイレル、ここまでメイン・スポンサーがありませんでした。予選でブレーキ・フェードが発生した点について、ジャリエはこんなふうに答えています。

「『新しいスポンサーがつかなくても、ブレーキの交換くらいはやる余裕があるよ』とジャリエはジョークを飛ばす。このベルギー・グランプリ前に決まったメイン・スポンサー“キャンディ”(洗濯機や食器洗機を作る家電メーカー)のレタリングがボディに書込まれている。」

「Candy」というロゴが描かれたのはこのGPから。つまり、このレース以前の009をモデル化した場合は、ただ「Tyrell」とだけ書かれた青いマシンになるわけです。それはそれでほしい気もします。

レースはフロントローを独占したジャック・ラフィーとパトリック・デパイユのリジェJS11に、アラン・ジョーンズのウイリアムズFW07が挑み、首位を奪います。しかしマシントラブルでジョーンズはリタイア。2台のリジェは3位のシェクター(フェラーリ312T4)に10秒以上の差をつけます。

シェクターに迫るのが、ウルフWR8のジェームズ・ハントと、2台のタイレル。41周目、ピローニがハントをぬいた直後、ハントがジャリエを巻き込んでスピン。ハントはリタイア、ジャリエも順位を落とします。

首位を走っていたデパイユがリタイヤした後、シェクターがラフィーとの差を詰め、54周目に逆転。この時点でピローニは3位を走っています。ですが、後続の猛追を受けることになりました。

「観客をわかせたのは、このシェクターだけでなく、ビルヌーブの追い上げのほうがさらに歓声は大きかった。ビルヌーブはパトレーゼ──マイペースでジワジワと4番手に浮上して4番手に浮上していた──を抜き4番手に、そして3番手のピローニとの差もグングンちぢめ、残り8周というところでフェラーリがタイレルの前に出た。2番手のラフィーとは20秒もの差があったが、これも1周2秒の割でつめていく。」

ただ、ここでフェラーリのエンジンに異変が生じます。

「シケインのところでビルヌーブはフェラーリのフラット12エンジンの息つきを感じた。しかし、ストレートに出るとエンジンは再び吠えつづける。ここでビルヌーブは落ち着いて車をゆすらせ走らせ、タンク内のガソリンを1滴たりとも残さずピックアップしようとしたのだ。」

ビルヌーブは2位をあきらめ、3位を確保する作戦に変更します。ですが……。

「現実は、レースは、勝負は無情であった。ビルヌーブのフェラーリは、ついにガソリンを飲みつくし、グランドスタンドから見える最終コーナー手前でストップしたのである。ビルヌーブは車を降り、なおもフェラーリを押し進めようとしたが、時すでに遅かった。」

コースでストップをしたビルヌーブを横目に、ピローニはゴール。F1で初めて表彰台にのぼります。

翌1980年、ピローニはリジェに移籍し初優勝を遂げると、1981年にはビルヌーブがエースドライバーを務めるフェラーリへ移ります。その後の2人の関係は、ご存じの通り。チーム内で2人は対立し、その関係がビルヌーブの事故死の遠因になったと言われています。

2012年8月29日水曜日

タイレル007/O・シュトウパッヒャー/1976年/スパーク



1976年のカナダGPに、シュトウパッヒャーというドライバーが参戦したときのモデルです。カナダGPということはF1 in Japanの2戦前ですね。結果は予選落ち。星野一義のチームがスポーツカーノーズに変更したのは正解だったということでしょうか。

米国のWikipediaによると、シュトウパッヒャーはイタリア、カナダ、アメリカというF1 in Japan前3戦に参戦(笑)しています(Otto Stuppacher)。イタリアがDNS(「did not start」)、カナダとアメリカがDNQ(「did not qualify」)。イタリアGPは予選通過したけど、何かのトラブルで本戦には出走できなかったんですかね。『F1全史 1976-1980』を見るとイタリアGPも「DNQ」になっていますが。

007は、76年の星野一義モデルと77年の高橋国光モデルを持っています。このモデルはオリジナルに近い007が欲しくて購入しました。日本GPモデルは、いろいろカスタマイズされていますからね。これならオリジナルにボディーカラーも似てるし(笑)。

実はワークスも、76年の第4戦のスペインGPまで、タイレル007を使っていたりします。最近の70年代F1ブームに便乗して、どこかが76年の007もモデル化してくれませんかね。スペインGPならシート後方のエアインダクションも低くなっているはずですし。まあ、「76年のタイレルと言ったらP34」というのもわかるんですけど。

2012年7月15日日曜日

ルノーA500/ー/1976/スパーク


スパークから出ている「Renault Alpine A500 test car 1976」です。「Alpine A500 1976/F1 Renault 1st Prototype laboratoire」というモデルを持っていますが、こちらは「test car」。実際にテスト走行をしたモデル、ということのようです。

オートスポーツ1976年9-1号にこのマシンの記事が載っています。




「5月13日、レジェ・ルノーは、彼らの活動に正式に1.5リッター・ターボ付きF-1エンジンの開発を加えることを発表した。“ルノー、F-1エンジンのテストを開始”と題されたプレス・レリーズの内容は、以下のようなものである──」


これからルノーがどうターボに取り組んでいるかという話が始まるのですが、ここにA500の話が載っています。プレスリリース(記事の中の言葉を借りるならプレス・レリーズ)の一文です。

「タイプA500と呼ばれるシャシーは、あらゆる種類のエンジン(インディ、F-1、F-2)搭載が可能なようにデザインされており、“ローリング・ラボラトリー”と異名をとる。トラック・テストもすでに行われており、7月までにはより一層のスピードアップがはかられる予定だ。そしてその結果で、ルノーとエルフはこの新しいF-1エンジンの市販を行なうかどうかを決定する。」
「ルノー・ゴルディーニのエンジニアは、このA500シャシーはあくまで“ラボラトリー(実験室)”であり、実戦には登場しないことを強調している。」

この段階ではあくまでもエンジンサプライヤーとしての参戦を考えていたみたいですね。記事もこのエンジンが「1977年のF-1グランプリに登場することは、ほぼ間違いない」としています。「どのチームに、どれだけの期間エンジンを供給するかについては、6月の末に発表することになっている」。誌面ではマルティニ、リジェ、そしてタイレルと予想していますが、実際は、シャシーも自ら作り、参戦することになるわけです。


2012年6月26日火曜日

ルノーA500/ー/1976/スパーク


1976年、ルノーが77年のレース計画を発表したときに登場したF1のプロトタイプです。スパークのミニカーで、台座には「Alpine A500 1976/F1 Renault 1st Prototype laboratoire」とあります。A500というのは、ルノーが5月にF1計画を発表したとき、シャシーについていた名前ですね。

オートスポーツ1977年2-15号にこのモデルの写真と、「ルノーの77年計画 ターボチャージャーを多用、F-1にもなぐり込み」という記事がありました。


記事の本文には「1977年の最大の目標はル・マン」とあるのですが、リードにはF1のことしか書いてありません。


「ルノーが開発を急いでいた“ターボF-1”が、ついにF-1シーズンに登場することになった。1900年代のはじめに一時、ルイ/マルセルのルノー兄弟が活躍したことがあるが、本格的なグランプリ参戦ははじめて。1.5ℓ+ターボがどんな働きを見せるか楽しみではある。」

本文には「デビューは6月19日のスウェーデン・グランプリの予定。」と書いてあります。ですが、4-1号を見ると「デビュー戦は夏(おそらくフランス・グランプリ)ということになっている。」と変わっています。

「ルノーは1906年に行われた世界最初のグランプリ・レースに優勝をとげ、世界のグランプリ・レースの歴史に最初の1ページをしるしたが、それから数えて70年ぶりのグランプリ復帰ということになる。」

実際にはルノーのひさしぶりのF1参戦は、さらに遅れて、フランスGP(7月3日)の次、7月16日のイギリスGPから、ということになりました。

それにしても、「1900年代のはじめ」とか「70年ぶりの」とか、記事に書かれているタイムスケールがかなり大きめです。それを考えると、確かに30日くらいの違いは誤差みたいなものですね。

2012年5月28日月曜日

タイレル007/高橋国光/1977/スパーク


1970年代のF1は、ワークスチームの古いマシンをプライベートチームが購入し、地元のレースに参戦するということがありました。70年代は、1つのマシンを改良しながら数年使うというのが当たり前だったので、こういうことが可能だったのですね。

これもその1台。1977年の日本GPのために、日本のプライベーターが改良したタイレル007です。まず76年のF1 in Japanのためにヒーローズレーシングが購入し、星野一義がドライブ。翌年、メイリツ・レーシングがこれを買い取って高橋国光のドライブで参戦しました。

成績は予選22位、決勝は9位。3年前のモデルで9位というのは大健闘ですよね。ちなみに前年の星野一義と異なり、ノーズはスポーツカーノーズからウイングに戻しています。スポーツカーノーズのマシンが最後に勝ったのは1976年のマーチ761(第13戦のイタリアGP)が最後。そういう意味で、このマシンが前年のスポーツカーノーズをやめ、ウイングを選んだのも、スポーツカーノーズの終焉を象徴しているような気がします(個人的にスポーツカーノーズのマシンがスキなんですよ)。

1977年の「AUTO SPORT」12ー15日号に、このマシンにスポットを当てた記事が掲載されています。執筆者はたてうちただし氏。

「メイリツ・レーシングのグランプリ挑戦記/決勝日の朝に最後のネズミをつかまえた」というタイトルの記事によると、このマシンは「今日は関東、明日は関西と老いの身にムチ打って展示場から展示場に流れていた」そうです。「F1が○○にやってくる」みたいな客寄せイベントの目玉に使われていたんでしょうね。それが急遽、F1に参戦することが決定。実際にテストランを始めたのは9月になってからだとか。

タイトルにある「ネズミ」というのは、これだけではわかりづらいですけど、セッティングがうまくいかない原因のことです。肝心なところでエンジンがバラつく。一つ一つ問題を解決していったチームが、最後の一つが「ソレノイドのマスター・スイッチ」だということを発見したのは決勝の朝のこと。もう時間がありません。そのとき、たてうち氏がとった選択は、タイレルのピットへ行って、ケン・タイレルに「わけてもらえないか」と相談するというものでした。

「彼は、もうすぐレースが始まるというのに、快よくわれわれの注文に応じてくれ、わざわざパドックまでもどってパーツを探してきてくれ、さらにスイッチの状況を確認しにわれわれのピットまで出向いてくれたのです」


いい話だなあ。

こうして、ドサ回りに身を落としていたマシンが、周囲の人の熱意にも支えられて、見事9位と完走を果たします。なんだか『ロッキー』みたいなストーリーですね。「ソレノイドのマスター・スイッチ」が何かわからない私のような人間でも感動できます(笑)。今の企業秘密の固まりみたいなF1では、夢想するのも難しい筋書きです。いい時代だなあ。

この号には11月6日(F1は10月23日)に行われた鈴鹿グランプリ(F2ですね)のレポートも載っているのですが、このレースに出ている「外人組」が豪華です。優勝したのはリカルド・パトレーゼ、エンジントラブルに泣いたけれど予選9位からごぼう抜きで首位に立ったのはディディエ・ピローニ、そして、その年の「F-2選手権6位とめざましい成績を残した“ケケ”ロズベルグ」(レースは予選3位だったけれど、決勝はリタイア)。みんな若かった。


少し遡りますが、77年11-1号はこのタイレルが表紙になっています。ただし、フロントはまだスポーツカーノーズです。記事には「マシン自体はexヒーローズ・タイレルであるが、小島エンジニアリングを経てメイリツ・レーシングが購入したもの」とあります。小島も関係していたのか。


2012年5月22日火曜日

シャドウDN8/アラン・ジョーンズ/1977/スパーク

スパークから出たシャドウDN8。アラン・ジョーンズのドライブで、1977年のオーストリアGPで優勝しています。この勝利はアラン・ジョーンズにとっても、シャドウ・レーシング・カーズにとっても、F1で初めての(シャドウにとっては唯一の)勝利でした。

予選14位からスタートしたジョーンズは徐々に順位を上げ、16周めに2位へ。ただなかなかトップを走るハントとの差は縮まりません。ですが、残りあと11周というところで、ハントのマクラーレンM26がエンジントラブル。ジョーンズはトップに躍り出ます。

オートスポーツ1977年10-15号のレースレポートよりアラン・ジョーンズのコメント。



「前を走っていたハントがリタイアし、自分がトップになったのを知って、正直いってボクはパニックにおちいった。何しろ生まれて初めての経験なのだ。それからあとは、ただエンジンがブローアップしないように、タイヤが外れ落ちないように、と祈りながら走った」


1980年にはシリーズチャンピオンを獲得するジョーンズですが、まだ初々しいですね。

この号では「F1マシン・ヒストリー」という記事でもシャドウDN8を取り上げています。

「オーストリアで勝ったマシンはDN8の改良型である。(中略)DN8改の主な変更点は、オイルクーラーのマウント位置、およびボディのサイド・カウルの形状変更、さらにエンジン・カウルの取り外しである。」「以上の改善により、空気抵抗を著しく減少し、空力的特性も大いに向上した。その結果、走行性能向上に格段の進歩が見られた。」

記事には77年代前半のモデルと優勝したマシンを上下に並べて比較していますが、たしかに、1)オイルクーラーがフロントに移動し、2)サイドのカウルがスッキリしていて、3)エンジン上のカウルがなくなっています。これで空気抵抗が減少し、重量も軽くなったと記事は解説しています。

「その成果がDN8改で、曲がりなりにもF-1サーカスの立役者たる資格を獲得することになった」

ただスパークのミニカーを見ると、記事通り、オイルクーラーはフロントにあり、サイドのカウルも以前よりスッキリしていますが、エンジン上のカウルはついています。オートスポーツの解説記事の写真は、エンジンがむき出しのまま。どういうことだろうと思って、もう一度、オーストリアGPのレースレポートを見ると、そこに載っているDN8の写真は、スパークと同じようにエンジン上にカウルがついていました。

なぜこういうことが起きたか、同じ仕事をしているので思いつくことがないわけではありませんが、インターネットがない時代のことを今からあれこれいうのも ちょっと違うよなと年寄りなので思ったりします。そういえば、新人の頃、上司にファックスがなかった時代のことを語られて「そんなことを言われてもな」と 思ったのを思い出しました。ちなみにその上司は新人時代、コピーがなかった時代のことを語られて同じことを思ったそうです(笑)。

【追記】オートスポーツ1977年5-1号の表紙が改良前のDN8でした。これと今回のミニカーを比べると、「オイルクーラーのマウント位置、およびボディのサイド・カウルの形状変更」はわかりやすいと思います。


2012年5月15日火曜日

ロータス77/マリオ・アンドレッティ/1977/スパーク


スパークの「ロータス77 ブラジルGP」です。ドライバーはマリオ・アンドレッティ。6132円で購入しました。

1976年のブラジルGPはシーズン第1戦。アンドレッティは6周でリタイアしています。

リタイアで始まったロータス77ですが、さまざまな改良を加え、最終戦のF1 in Japanで優勝します。F1 in Japanで優勝したマシンは、レーヴコレクションから発売されたモデルで持っているのですが、並べてみると、別のマシンといってもいいかもしれません。


ブラジルGPとF1 in Japan、どちらもアンドレッティ・モデルですが、ナンバーが違います。どうしてだろう。

調べてみると、シーズン第1戦(ブラジルGP)でのエースドライバーは、アンドレッティではなく、ロニー・ピーターソンなんですね。ピーターソンはこの第1戦のみで、第2戦からはマーチへ移籍します。アンドレッティも第2戦、第3戦はロータスではなく、パーネリから参戦。パーネリが第3戦でF1から撤退すると、アンドレッティは次の第4戦から再びロータスに戻ります。でエースドライバーとして5番のマシンに乗るようになったと。

ピーターソンとアンドレッティは1978年に再びロータスでチームメイトになるわけですが、そのときは立場が逆転していて、そしてシーズン終盤にあの悲劇が待っています。

2012年5月14日月曜日

リジェJS-15/ジャック・ラフィー/1980/スパーク


スパークのリジェJS-15モデルを手に入れました。1980年、ジャック・ラフィーのドイツGPモデル。当時の表記に合わせるなら「西ドイツ」GPですね。

リジェJS11-15は、1979年に登場したリジェJS11を改良して、1980年に参戦したマシンです。この年のコンストラクターズランキングは、ウイリアムズに続く2位。ドライバーズランキングでもラフィーが4位、ピローニが5位に入っています。

西ドイツGPはラフィーが優勝したレースです。2位は2回、3位も2回ありますが、優勝はこのレースのみ。「成績悪いのにモデル化」というパターンに比べると、正しいプロセスだと思いますね。あ、でも、予選落ちしたマシンもモデル化するというRacing Modelsの取り組みも、それはそれで素晴らしいと思います(笑)

レースレポートが載っているオートスポーツ1980年10-15号を見てみます。


表紙はルノーRE23。表紙にもきちんと「西ドイツ」と表記されています。

表4はフェアレディZです。


雑誌というのは基本的に縦長のものが圧倒的なんですが、その広告を横長に作るというのは、なかなか挑戦的です。

「トップが二転三転、けっきょく最初にチェッカード・フラッグを受けたのは、J.ラフィーだった。やっと待望の一勝をあげたラフィーの幸運というよりもJ-P.ジャブイーユやA.ジョーンズにツキがなかったといえそうだ。」

──これがリード。身も蓋もないというか。

とりあえずポールポジションはアラン・ジョーンズのウイリアムズFW08。だけどレースが始まるとあっさりジャブイーユのルノーRE23に抜かれる。それがエンジン異常でジャブイーユがリタイア。前戦まで3連勝していたジョーンズの4連勝間違いなしというところで、今度はジョーンズのタイヤの空気が抜けて、ラフィーが首位へ。そのまま、優勝というレース展開だったようです。ウィリアムズの隆盛とターボ時代の到来を感じさせますね。


「ラフィーには喜びの表情はなく、シャンペン・シャワーのセレモニーも、レース後の祝賀パーティもなかった。『ここで勝ってもすこしもうれしくないんだ。この1週間というもの、パトリックのことで頭がいっぱいだった』とラフィーは寂しげに語った。」

パトリックとは、前年のチームメイトだったパトリック・デパイユのこと。レース前週、ドイツGPが行われたホッケンハイムでアルファロメオをテスト中にコースアウトして事故死しています。

振り返ってみると、1980年のコンストラクターズランキング1位のウイリアムズと2位のリジェのマシンは、どちらも前年の改良モデルです。そのあたりの考察がオートスポーツ10-1号に載っていました。

「ドイツまでの結果でもわかるように、ウイリアムズFW07BとリジェJS11/15が、かなりの速さを示している。この2車に共通していることは、いずれも’79年タイプの改良型であり、ニューモデルではないということだ。」


「FW07にしろJS11にしろ、その基本デザインがすぐれているということである。とはいえ、とてつもなく秀でたデザイン(ロータス80のように)という意味で、すぐれているのではない。それはこの2車が。現代のサーキット、タイヤ、エンジンそしてドライバーの技術に高い地点で妥協しているということだ。妥協という言葉が適切でないとすれば、バランスしているといってもいいだろう。」


「たとえば、ダウンフォースとドラッグのバランスにしても、FW07BとJS11/15は、ストレートでもじゅうぶん速く、コーナーでもけして遅くないという意味で、実に適切である。」

うーん、わかるような、わからないような(笑)。「高い地点で妥協している」ほうが、「とてつもなく秀でたデザイン」よりも上である、ということなんですかね。だとしたら、後者は何が「秀でている」のか、なんてことも気になってきます。

でも、その例に挙げられているのがロータス80ということは、このくだりは皮肉なんでしょうか。