ラベル Polistil の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Polistil の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年11月4日日曜日

フェラーリ312T5/ジョディ・シェクター/1980/ポリスティル


マテルのフェラーリ312T5を買ったとき、自分のコレクションで312T5は初めてだと思っていたのですが、棚を眺めていたら、すでに1台持っていることに気づきました。

てっきり312T4だと思っていたポリスティルのフェラーリをよく見ると、ナンバーがチャンピオンナンバーの「1」になっています。T4の前年、1978年のチャンピオンチームは、16戦中8勝をあげたロータスですから、これはT4ではありません。フェラーリは1979年にT4でコンストラクターズチャンピオンになっていますので、これは、1980年にジョディ・シェクターが乗ったT5、ということになります。

いやいや、ちょっと待て。

この時代はシーズン序盤、ヨーロッパに上陸するまでは前年のマシンで戦うというチームが多かったのは事実です。この年のフェラーリも序盤戦はT4で参戦していたという可能性があります。ならチャンピオンナンバーのT4がある可能性がある。

そう考えて、『F1全史 1976ー1980』を開いてみました。アルゼンチンGPは第1戦です。リザルト欄を見ると、第1戦からフェラーリは312T5で臨んでいました。

勢いがついてオートスポーツ1980年3-15号も本棚から引っ張り出してみました。以下はアルゼンチンGPのレース・レポート。

「フェラーリは、ニューT5を2台走らせたが、このT5は基本的にT4で、シャーシのコックピット前後をテーパー状に半分近く削り、“ウィング”部分を広げようという意図のシャーシである」

完全なニューマシンかどうかはさておき、第1戦からT5で参戦していたことは間違いないようです。

それにしても「テーパー状」ってなんだろう?

ネットで検索すると「テーパー状」というのは「円錐状に加工した状態」とありました。人生、知らないこと、多いなあ。

マテルのT4とT5を並べてみました。左がT4、右がT5です。


「シャーシのコックピット前後をテーパー状に半分近く削」ったこと、わかりますか?

これがオートスポーツ1980年3-15号です。表紙はアルゼンチンGPを制したアラン・ジョーンズのウィリアムズFW07。1980年はウィリアムズの年でした。

2012年7月5日木曜日

タイレル008/パトリック・デバイユ/1978/ポリスティル


ポリスティルのタイレル008です。

オートスポーツ1978年1-1号でカラー写真を掲載し、「フル・レポートは1/15号に掲載します。お楽しみにお待ち下さい。」と引っ張ったタイレル008ですが、それだけもったいつけただけあって、1-15号は、183ページから8ページ(+折り込み)にわたる、「大特集 “タイレル”とニュー“008”をあばく!」。自ら「大特集」とうたうだけあり、ニューモデル、デザイナー、ドライバー、スポンサー、そして6輪車に対するケン・タイレルの見解と、さまざまな角度からタイレルを分析しています。

記事の冒頭、「Part1 タイレル008の設計主眼」に008に関する解説がありました。

最初の見出しは「簡潔、容易に修理ができる!」です。「出る前に負けること考える馬鹿いるかよ!」というアントニオ猪木の言葉を思い出しました(笑)。でも、きっと大切なんですよね、こういう姿勢。

本文はこう始まります。

「モーリス・フィリップの設計になる新しいエルフ・タイレル008の大きな特徴は、ボディ内に電子計測システムが積み込まれていることで、これを使ってグランプリの公式予選のとき、実走行のデータを集めることができるという点だ。」

うーん、地味だなあ(笑)。

ちなみに「容易に修理ができる」という見出しは、デザイナーであるフィリップの発言から引用しています。

「現在ではグランプリ・レースは年間17レースがカレンダーに組み込まれている。私はこのハード・スケジュールをこなすのにもっとも適したマシンを設計することを心がけた。008は製作も容易で、本工場から遠くはなれたところでも容易に修理が可能なマシンとなっている。」

ちなみにフィリップの6輪に対する意見は以下の通り。

「6輪は特殊な車であり、特別なものなので、ほかのチームの車と直接に比較することはできない。私の考えでは、レースは出来る限り他のマシンと同じような構造のマシンでやるべきだ。」

「出来る限り他のマシンと同じような構造」って、やっぱり地味ですね(笑)。

ただこの保守的な路線はある程度成功を収めて、コンストラクターズは4位。前年の5位からワンランクアップしています。デバイユはドライバーズランキングでも5位でした。

2012年5月17日木曜日

アルファロメオ179/?/1980/ポリスティル


アルファロメオ179。1980年のF1マシンです。ポリスティルの1/41モデル。

基本的には、こういう古いミニカーを集めるのが好きです。レースまでしっかり想定して再現している最新のモデルもいいですが、思い切りよくデフォルメしていて、グランプリどころかドライバーだって考えてないんじゃないかというような昔のミニカーも、オモチャらしくていいんじゃないかと。

このアルファロメオはまさにその典型ですね。誰のマシンかわからないのです(笑)。

フロントノーズに描かれているナンバーは22です。これは第8戦のイギリスGPまでならパトリック・デパイユのマシンのナンバーなのですが、デパイユは第9戦の西ドイツGP前のテストラン中に事故死しています。その後、第12戦のイタリアGPではビットリオ・ブランビラが、第14戦のアメリカGPではエリオ・デ・チェザリスが、それぞれナンバー22のマシンに乗っている。つまり、そのどちらかという可能性もあるわけです。

さらに悩ましいのはボディ横には「23」というナンバーが書かれていること。


23だとすると、これはブルーノ・ジャコメリのマシンということになります。

さて、これは誰のマシンなのでしょうか。

1980年のアルファロメオはコンストラクターズランキングで11位。ドライバーズランキングはジャコメリが17位と冴えませんが、最終戦のアメリカGPでは見事予選1位を獲得しています。以下はオートスポーツ1980年12-1号の「USイースト・グランプリ」レポートより。


「今回の予選で驚いたのはB.ジャコメリ(アルファロメオ179)の活躍だった。チーム内では彼の評判はけしてよいものではないといわれているが、彼は心に期するものを秘めてワトキンスグレンにやってきた。1日めにベスト・タイムを出し、2日めも抜群のタイム(昨年のポール・タイムより2秒近くも速い)を出して2番手以下に1秒近くの差をつけた。『すべてが同時にうまくいったのは今回が初めてだ』とブルーノ。いまや彼に望まれるのは、レースでフィニッシュすることである。」

スタートもうまくいきます。

「スタートはジャコメリのものだった。赤と白のマルボロ・カラーに彩られたアルファロメオ179がまずリードを奪う。」

「ジャコメリのアルファロメオは、ソフトなBタイヤをはかせていたのが功を奏し、シケインでも意のままにラインがとれたという。2番手につけるピケットのブラバムは、ややスライド気味で、シケイン出口では大きくはらみ、数周するとトップとの差は3秒と開いていた。ピケットにすれば可能な限りのドライビングをしていたが、それでも離されるいっぽう。ジャコメリが何かミスでもしないかぎり捕まえるのはまず不可能だった。」

「ジャコメリは『トップを走るのがこれほど容易なこととは信じられなかった。ハンドリングは完璧だったし、もっとペースを上げようと思えばそれも可能だった』というほどで、ピットサインでジョーンズの追い上げを知るとペースを上げ、その差を13秒とする。」


しかし、ジャコメリの179は最後まで走りきることはできませんでした。トップを快走中の32週目にエンジントラブルでリタイヤしてしまいます。

結局、ジャコメリはF1では1勝も挙げることなく引退することになります。