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2012年8月19日日曜日

マーチ761B/イアン・シェクター/1977/エーダイ


エーダイのマーチ761Bです。特にドライバーの指定はありませんが、ナンバーとカラーリングからすると、これはイアン・シェクターのマシンですね。

オートスポーツ77年3-15号の表紙(の上半分)がシェクターのマーチ761Bです。


アルゼンチンGPのレースレポートに、簡単なマシン紹介がありました。

「マーチは昨年タイプの古いマシンを持ち込んだが、新顔のふたりのドライバーのために目新しいペイントが施され、新しいスポンサー・ネームがつけられている。」

「マーチ761Bの変更点は、フロント・サスペンションとスタビライザーのレイアウト(ロッキードの新しいツイン・キャリバー・ブレーキを装備するため)である。」

「また、リア・スタビライザーはロータス式のアジャスタブル・システムを採用している。」


ブレーキに関しては、オートスポーツ77年2-15号にこんな記述がありました。マーチ6輪の紹介記事の前半部分です。

「マーチ761は、76年シーズンの終盤にはくわめてコンペティティブなマシンに成長していたが、ふたつの大きな弱点をかかえていた。ひとつは、レース中に左のフロント・タイヤが過熱しやすく、ほかのマシンと比較して、ブレーキの効きが落ちるということだった。」

「77年1月のブラジル・グランプリには、残念ながらマーチの新しい6輪車は出場しないが、その代わり、改造型の761Bが出場するという。このモデルには新しいツイン・キャリバーのブレーキ系、そしてドライバーズ・シートからアジャストできるバリアブル・アンチ・ロールバーが装着されるはずだ。これは、レース序盤の、まだ燃料タンクが満タン状態のとき、左のフロント・タイヤにかかるロードをゆるめて、そのオーバーヒートを防ぐための新しい機構である。このほか、細部に多くの改良が加えられ、全体としてかなりの重量軽減が実現している。」


ただ前年と違い、761Bは「コンペティティブなマシンに成長」はしてくれませんでした。オートスポーツ1977年10-1号のドイツGPのレースレポートに、761Bについてイアン・シェクターのこんな発言が載っています。

「マーチではI.シェクターが1番速く、18位のタイム。プラクティスにはロビン・ハードも姿を見せたが、ヨーロッパでのF-1レースに彼がやってきたのは初めてのことだ。『彼のおかげでセッティングもうまくいった』とイアンは語っており、走るごとにタイムを向上させて、最終セッションでは1分56秒35を出した。しかし、ハードはレース前に帰国してしまい、土曜日の夜に彼が指示したセッティングはめちゃめちゃだった。そのためイアンは『こんなひどい車には来年からもうのらない……』とさえいう始末。」

マーチはこの年かぎりでF1から撤退するので、シェクターの決心は守られることになります。ただシェクター自身も78年はF1のドライバーズシートを獲得できなかったのですが。



2012年7月24日火曜日

マーチ761/ハンス・スタック/1976/ミニチャンプス


1976年の第10戦、西ドイツGPモデルです。76年の西ドイツGPといえば、ラウダがひん死の重傷を負ったレースとして知られています(本戦は8月1日)。

オートスポーツ1976年10-1号を見てみます。予選は何位くらいなんだろうと思って調べていて、意外な発見。西ドイツGPでマーチ761、予選4位なんですね。てっきり予選落ちとのボーダーラインかと思って下の方を探していたので、ちょっと驚きました。

1位がマクラーレンM23のハント、2位がフェラーリ312T2のラウダ、3位がタイレルP34のデバイユ。そしてデパイユの横には「今シーズンF-1で実に久しぶりの活発な動きを見せたH.スタック。タイムは7分09秒1で、前3者に遜色ない」。すばらしい。やっぱりこの年のマーチ761はそれなりの戦闘力があったんですね。

ただ本戦のレポートには名前は出てきません。「F1全史」で確認してみると、1周目でリタイアしていました(笑)。

ストックにとって予選4位というのは、この年の最高位。第1戦ブラジルGPと第6戦モナコGPでは本戦で4位に入っていますので、予選4位から一気に表彰台、と行きたかったところですが、残念ながらそうはいかなかったようです。

2012年7月3日火曜日

マーチ761B/アレックス・リベイロ/1977/ミニチャンプス


マーチの型番は、基本的に「年号」+「カテゴリー」。なので761は「1976年」+「F1」ということになります。ただ、1977年は、型番は一年前の761のまま、巻末に「B」がついているだけだったりします。やる気ないなあ(笑)

1977年、リベイロは一度も入賞していません。順位は8位が最高位。第11戦ドイツGPと第16戦カナダGPです。

この年のカナダGPは日本GP直前だったため、当時、雑誌ではあまりスペースを割かれていませんでした。ただでさえページ数が少ないのに入賞もしていないマシンを扱っている可能性は低いに違いない。そう考えてドイツGPのほうを調べてみました。

まずはオートスポーツ1977年10-1号。レースレポート本文では、予選結果のところで「10列目はV,シュパン(サーティーズTS19)、A.リベイロ(マーチ761)。」と結果のみ。本戦はまったく触れられていません。

ただ写真が1枚載っていました。キャプションは次の通り。
「このところ冴えないマーチ。ロビン・ハード御大も見えたが、リベイロがやっと8位。」

冷たいなあ(笑)。

オートテクニック1977年9月号では、やっぱり予選結果で触れられていますが、オートスポーツに比べると少し長めです。

「18位はイアン・シェクターのマーチでバーン・シュパンのサーティースを従え,その隣が南ア以来やっとクォリファイ通過のアレックス・リベイロ.」

ドイツGPは第11戦、南アフリカGPは第3戦ですから7戦連続予選落ちだったわけですね。

「やっとクォリファイ通過」「やっと8位」と、両誌に「やっと」が使われているところに、苦戦ぶりがしのばれます。

これはリベイロだけの問題ではなく、チーム全体の問題でした。前年、19ポイントをあげコンストラクターズランキングで7位に入ったマーチですが、77年はポイントなし。そしてこのシーズンを最後にマーチはF1から撤退します。

2012年6月10日日曜日

マーチ761/ロニー・ピーターソン/1976/ミニチャンプス



たぶんあまり気にする人はいないと思いますが、このマーチ761は、今のところ、F1GPで優勝した最後のスポーツカーノーズマシンです。レースは第13戦のイタリアGP。ちなみにその前にスポーツカーノーズのマシンが優勝したのは第7戦のスウェーデンGP。マシンは6輪車、タイレルP34でした。

オートスポーツ1976年11-1号のレース速報より。

「決勝レースの火蓋が切って落とされた。予選10番手のピーターソンが猛烈な勢いでダッシュし、3周目にトップに立つとグンとペースを早め、2番手以降を引き離していく。」

「レースはけっきょくR.ピーターソンの完ぺきな勝利で幕を閉じた。昨シーズンいらい不振をかこっていたピーターソンにとっては、74年イタリア・グランプリ以降久しぶりの勝利の美酒を飲みほすことになった。」


ロニー・ピーターソンは1970年にマーチでF1デビュー、1973年にロータスへ移籍します。73年は4勝、74年は3勝。でも「不振をかこっていた」75年はモナコGPの4位が最高でした。

76年は、第1戦のブラジルGPこそロータスで出走しますが、ロータス77の出来の悪さに愛想を尽かし、古巣マーチへ復帰していました(そのあたりの話はスパークのロータス77のところでも触れています)。そして、このイタリアGPで2年ぶりの勝利を手にした、というわけですね。

2012年5月14日月曜日

マーチ761/ビットリオ・ブランビラ/1976/JOHN DAY

JOHN DAYのマーチ761を手に入れました。1976年のF1マシン。この年、マーチは4台が参戦していますが、そのうちのビットリオ・ブランビラのマシンです。

ブランビラはウェットコンディションのレースにめっぽう強かったことから、「雨の帝王」という異名を持つドライバー。この761を駆って、雨のF1 in Japanでも6周に渡りトップを走りました(結果はリタイア)。歳がばれますが、このレースは現地で観戦していて、ずいぶん興奮したのを覚えています。マーチ好きだったんですよ。判官贔屓なもので。

マーチはマシンを制作し個人ドライバーやレースチームにマシンを売るというレーシングメーカーです。1976年も5人のドライバーがこのマシンを駆って(買って?)F1に参戦しました。ちなみにそのうちの1人、ハンス・J・シュトックのスポンサーは、このミニカーを作っているJOHN DAY MODEL CARSでした。ミニカーメーカーがF1のチームを持てる、いい時代だったんですね。

ちなみに「雨の帝王」というのは、本当に彼の異名だったのかな(笑)。日本語版のウィキペディアには「雨の魔術師」という書かれていますが、英語版のWikipediaには「his nickname was "The Monza Gorilla"」としか書かれていない(日本語のウィキにも「その強面の容貌と荒々しい走りから、『モンツァゴリラ』の愛称で親しまれた」とあります)。「Particularly adept at driving in wet conditions,」と書かれていますから、雨のレースに強かったのは間違いないようですが。

Vittorio Brambilla

ブランビラのマシンはミニチャンプスの751も持っています。1975年のオーストリアGPのモデルです。

雨のため54周の予定が29周で終了となったこのレースでブランビラは生涯唯一の優勝を遂げています。で優勝が決まって「思いがけぬチェッカード・フラッグに、片手を挙げて応えた途端、コントロールを失ってスピン→クラッシュ。前部をメチャメチャにしたマシンでウイニング・ラン」をしたそうです(『F1全史1971-1975』より)。いい味出してますねえ。ちなみにレースがほぼ半分で終わったため、ブランビラに与えられた得点は通常の半分でした。