ラベル Racing Models の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Racing Models の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年11月13日火曜日

マルティニMk23/ルネ・アルヌー/1978年/Racing Models


Racing Modelsのサイトに、マルティニMk23のベルギーGPモデルもありました。

発表時のマシンと比べると、ボディの各部に施された変更点がチームの苦闘ぶりを物語っていますねえ……と思ったら、ベルギーGPは第6戦。デビュー戦だったモナコGPが第5戦ですから、デビューレースで予選落ちしたので、慌てていろいろ手を加えたのでしょうか。


以前の記事でも書きましたが、マルティニが参戦したのは、モナコGP(予選落ち)、ベルギーGP(9位)、フランスGP(14位)、ドイツGP(予選落ち)、オーストリアGP(9位)と5戦だけです。こうしてみると最もいい成績を収めたマシンをモデル化したとも言えるんでしょうが、それよりなにより、そんなマシンをよくモデル化したなと。いや、これは誉めているんですよ(笑)。


オートスポーツ1978年10-15号のオーストリアGP解説記事に。こんな文章がありました。

「そして最後尾の26位にはマルティニMK23のルネ・アルヌーがすべり込んだ。『べつに悪いところはないが、ただスピードが出ない……』という。」

悪いところはないけれどスピードが出ない(笑)。それじゃあ、手の施しようがないですねえ。でもまあ、デザイナーが「多少重いマシンになっていても、むしろ頑丈なマシンということで初挑戦には好都合」なんて呑気なことをいっているのだから、スピードが出ないのも当然という気もしますが。

ちなみにオートスポーツ1978年7-15号を読むと、ベルギーGPのレースレポートのまとめに、少しだけマルティニの話が出てきます。

「9位にはマルティニMk23のルネ・アルヌー。彼もこれまででベストの成績だ。」

2012年9月2日日曜日

アポロン/L・ケッセル/1977/Racing Models



1976年から1980年のF1ミニカーに限定して収集しているので、この年代のF1マシンは一通り把握しているつもりでした。Racing Modelsのサイトでこのマシンを見るまでは。

 Apollon Cosworth 1977 Loris Kessel

Apollonというチームで、ドライバーはLoris Kesselということなんでしょうが、まったく知りません。

1977年と言えば、ロータス78が登場したいわゆるウイングカー元年です。日本GPも富士スピードウェイで開催されています。実際、レースも見に行きました。この年はマイナーチームまで把握していたつもりだったのですが。

製品の解説には以下のように記されています。

The ill fated Swiss Apollon Cosworth F1 (Williams FW03 based) as raced in 1977 by Loris Kessel.

スイスのチームが、ウイリアムズの昔のマシンをカスタマイズしたマシンみたいですね。

「Apollon Cosworth 1977」でGoogle検索してみると、一番上にRacing Modelsのページがでてきます。画像検索に切り替えると、Loris Kesselのまとめサイトが見つかりました。そこに何枚かApollonらしき写真が載っています。

USのWikipediaに「Apollon (Formula One)」という項目がありました。

RAMのドライバーだったLoris Kesselが、自分をウイリアムズに売り込んだんだけど、採用されず、そのかわりに古いマシンを売ってもらった。でスイスのThe Swiss Jolly Clubに話を持ちかけて、チームを作った、という経緯のようです。改良したのは元フェラーリのデザイナーGiacomo Caliri。コパスカーとかATSをデザインした人です。なんとなく路線が見えてきました(笑)

参戦したのはイタリアGPだけみたいです。「F1全史」のリザルトページを見てみると、たしかに予選不通過の中に「L・ケッセル」という名前があります。マシン名は「ウィリアムズFW03・フォード」。これのこと、みたいですね。

念のために当時の雑誌も見てみます。「オートスポーツ」1977年11-15号です。


イタリアGPの予選結果を見ると、確かにケッセルの名前がありました。予選最下位です。1位はハントのマクラーレンM26で1分38秒08、最下位で予選を通過したのがマーチ761のP・ニーブで1分40秒52。ケッセルのタイムは1分46秒68ですから、これはつらい。ちなみにここでも表記はウイリアムズFW03。


記事本文で予選落ちのマシンたちに触れている段落でも、ケッセルの名前は出てきません。

「コパスカーF5のE.フィッティパルディ、エンサインN177のB.ヘントン、マーチ761のA.リベイロらは予選に落ち、決勝レースへの進出はならなかった。」

ケッセルは「リベイロら」の「ら」扱いになっています。

本棚を見たら1977年の「オートテクニック」もあったので、11月号を開いてみましたが、やはり予選結果以外に記載はありませんでした。「ら」すらなしです(笑)。

確かに当時のF1はプライベーターが型落ちのマシンを購入して参戦するということがよくありましたが、それにしてもFW03は1974〜75年のマシンですからねえ。ちょっと古いような気がします。

あ、でも75年ということはタイレル007と同じか。高橋国光もそれで1977年の日本GPに挑戦していますから、それほど異例ではなかったのかな。元のモデルをモディファイして、トップチームに一泡吹かそうと考えた。そう考えると急に愛おしくなってきました(笑)。

あと悩ましいのは、このマシンのチーム名ですね。高橋国光のマシンを「タイレル」に分類している以上、これも「ウイリアムズ」にすべきなのかとも悩みましたが、せっかくですので、アポロンにすることにします。

ネットで実車らしい写真を見つけたので、アップしておきます。


白黒なのが残念だなあ。

2012年6月5日火曜日

メルツァリオ A1/アルツーロ・メルツァリオ/1978/Racing Models


 のぞいちゃダメだと思いながら、久しぶりに見てみたRacing Modelsのサイト。そこには「The Merzario Ford A1」という文字がありました。

メルツァリオ!

これは買わざるをえません。

金額は日本円換算で1万1803円でした。正直この金額は厳しい。厳しいけれど、この先、メルツァリオがモデル化されることは、まずあり得ないと思うので仕方がありません。

前年はマーチ761Bで参戦していたアルツーロ・メルツァリオが、マーチを改良して作り上げたマシンです。戦績は予選通過が8戦、予選落ちが8戦。いや、頑張ったと思います。

サイトの紹介文を見て笑いました。

The Merzario Ford A1 as entered in the 1978 Monaco Grand Prix by Arturo Merzario. Arturo did not qualify for the race.

「Arturo did not qualify for the race.」(笑)。予選を通過したマシンをモデル化すればいいのにと思ったりもするのですが、なにか事情があるのでしょうか。

1978年のオートスポーツをぱらぱらとめくってみます。

3-15号の表紙に「メルツァリオA1」という文字が載っていました。ただ、独立した記事は見あたらず。「最新パドック情報」というページで、その他のチームと一緒に紹介されていました。

「★メルツァリオ:このチームは、アルゼンチンのガレージで初めてA1を発表した。要するにスタンダード・キット・マシンであるが、最初のデザインよりか なり全高が高くなっている。しかし、メルツァリオが昨シーズン乗ったマーチより悪いということはないし、他の人間が作ったマシンよりはるかにメルツァリオ は乗りやすそうであった。」


なんだか、誉めてるんだか、けなしてるんだか、よくわからない文ですね。「スタンダード・キット・マシン」という単語も初めて知りました。そういえば、同じ号に載っていたマルティニMk23の紹介記事には「コスワースDFV、ヒューランドFGAギヤボックス、グッドイヤー・タイヤを使用したスタンダード・F-1キット」という一文もありました。こういうマシンが成立したから、70年代のF1は楽しかったんでしょうね。


2012年5月24日木曜日

マルティニMk23/ルネ・アルヌー/1978年/Racing Models


ここ1年、個人的に「見てはいけない」サイトNo.1はRacing Modelsです。見るたびに信じられないマシンが掲載されているからです(笑)

これもその一台。1978年のF1「マルティニMk23」。いや、びっくりしました。おもわず反射的に購入ボタンを押してしまいました。

マルティニは75年、77年のF2チャンピオンチーム。チームドライバーで、77年のF2チャンピオンだったルネ・アルヌーを起用してこの年、F1に乗り込んできました。

オートスポーツ1978年3-15号では表紙にもなっています。



その号に載ったマルティニMk23についての解説記事より。

「マルティニMk23は、コスワースDFV、ヒューランドFGAギヤボックス、グッドイヤー・タイヤを使用したスタンダード・F-1キットであり、デザインもきわめてコンペティションで、保守的といってもいいだろう。」

デザイナーのティコ・マルティニのコメントが素晴らしい。

「このマシンの重量はまだ計測していないが、それほどひどいオーバーウェイトにはなっていないはずだ。まあ、多少重いマシンになっていても、むしろ頑丈なマシンということで初挑戦には好都合というものだ」

発表するまでに重量を計測していない。のどかで、いい時代ですね(笑)。

まあ、こんなのんびりした姿勢のせいかどうかはわかりませんが、マルティニは結局、シーズン後半には撤退してしまいます。『F1全史 1976-1980』によれば、マルティニが参戦したのは、モナコGP(予選落ち)、ベルギーGP(9位)、フランスGP(14位)、ドイツGP(予選落ち)、オーストリアGP(9位)と5戦だけなんですね。チーム撤退後、アルヌーはサーティーズへ移籍します。その話はこちらでも書いています。

2012年5月18日金曜日

サーテースTS20/ルネ・アルヌー/1978年/Racing Models



以前、ヘスケス308Eを購入した「Racing Models」から、また1台、買ってしまいました。サーティースTS20。本体は74ポンドで、送料が10ポンド。計84ポンドです。実際の請求金額は1万474円でした。

サーティースTS20は1978年のマシン。TS19で3シーズン(!)戦ったサーティーズですが、ここでスポーツカーノーズからウィングノーズへと転進します。

1978年7-1号のオートスポーツに紹介記事が載っていました。「F-1最新マシン情報」という記事で、リジェJS-9、ウルフWR5と同じ記事の中で紹介されています。


ちなみにTS20の紹介記事タイトルも、「ウィング・ノーズを採用したサーティーズTS20」です。やっぱりスポーツカーノーズをやめたところがポイントか(笑)。この記事によると、このマシンが投入されたのはモナコGPみたいですね。

記事にはジョン・サーティーズの以下のようなコメントが掲載されています。

「最も大きな変更点は空力デザインだ。オイルクーラーとラジエーターのアレンジを変え、ノーズ先端を細いウエッジ型として、フロント・ウィングを配置した。オイルクーラーはノーズの先端に、ラジエーターはボディの後端に埋め込んだ。前面投影面積の減少と車重配分を変えるためであった。ホイールベース、トレッドもうんと広げられ、サスペンション・ジオメトリーも変更されている。これで最新のグッドイヤーにもフィットして、性能も向上するはずである」
そして、こう言い切っています。

「TS20はそう遠くない時期に、ワールド・チャンピオンシップを狙うことができるだろう。シェイクダウン・テストも順調に終え、デビュー戦に何も問題はないはずだ」
ただし現実は問題だらけでした。モナコGPは予選不通過。最高位はオーストリアGPの6位(ドライバーはブランビラ)。この1ポイントを最後に、チーム・サーティーズはこの年でF1から撤退することになります。

さて、ミニカーのドライバー名を見るとルネ・アルヌーとなっています。この年、マルティニでF1デビューを果たしたアルヌーですが、マルティニが第13戦オランダGPを最後に撤退したため、第15戦アメリカGP、第16戦カナダGPはサーティースから参戦しているのです。というわけで、これはそのどちらかのモデル、ということでしょう。

オートスポーツ1978年11-15号を見ると、イタリアGP(ロニー・ピーターソンが事故死したレースです)のレポートの中に、アルヌーがサーティーズのドライバーになった経緯が書かれていました。「ジェフのパドック情報」というコラムです。


●サーティーズに乗るアルヌー
 ヨーロッパF2チャンピオンのルネ・アルヌーはことし30歳。自分の所属していたマルティニのF-1チームが、グランプリからの引退を発表して以来、その動静が注目されていたが、どうやらシーズン末の残された2レース(アメリカとカナダ)をサーティーズのチームから出場することが決定した。
 ルネ・アルヌーは、オランダGPで負傷したルパート・キーガンの代わりに登場するわけだが、モンツアで重傷を負ったブランビラのほうの穴を誰がうめることになるかについては、まだサーティーズの側から明らかにされていない。
 チーム・サーティーズの今シーズンにおける成績は決して満足のゆくものではないが、アルヌーにしてみれば願ってもないチャンスといえるだろう。これでクォリファイを通過してアメリカかカナダのどちらかでいい成績をあげることが出来れば、来シーズンの見通しも悪くはないはずだ。


この2戦、アルヌーはアメリカGPで完走、カナダGPではリタイアという結果でした。オートスポーツを眺めてみても、予選結果でちょっと触れられている程度ですね。

11列目にはサーティーズTS20に乗るルネ・アルヌーがついたが、彼は最終セッションの中ごろにシケインからとび出し、ステアリング・アームを曲げてしまい、その後はまったく走れなかった(12-1号)※アメリカGP

8列めにはほとんどノートラブルでプラクティスを終えたエンサインN177のデレック・ダリー。そのとなりはサーティーズTS20のルネ・アルヌー。彼はクォリファイ用タイヤの配給は受けられなかったが、無事16番手で予選を通過した。しかし、チームメイトのベッペ・ガビアーニは、また予選を通過できなかった。(12-15号)
※カナダGP

「予選途中で走れなくなった」とか「チームメイトは予選通過できなかった」とかいう文章の裏側に、アルヌーの才能を感じさようとしている筆者の意図が感じられる、なんていうのはうがちすぎでしょうか。

話はそれますが、前に引用した「サーティーズに乗るアルヌー」という小記事の、まとめがなかなか印象的でした。ケガをしてシートをアルヌーに譲らなければならなかったキーガンのコメントがレースの厳しさを感じさせます。

 キーガンはいぜんとしてギプスのお世話になっているが、モンツアにその元気な姿を見せている。病院を退院して間もない彼なのだが、アメリカへも足をのばしての観戦を予定しているらしい。彼はそのへんのところを次のように説明してくれる。「なにしろこの時期には、何はともあれ顔を出していなくちゃ駄目なんだよ。来シーズンへの情報をあれいれ手に入れるためなんだけど、それさえ出来ないんだったら、もうこの世界とはオサラバしたほうがいいだろうね……」若い彼らしい発言に拍手を送ろうではないか。

営業は大事、ということですね。ちなみにこの年、彼は22歳。ただ残念なことに、翌年、キーガンの座るシートはありませんでした。厳しいなあ。

2012年5月15日火曜日

コパスカーF5A/エマーソン・フィッティパルディ/1978/Racing Models

 

 Racing ModelsのコパスカーF5Aです。

コパスカーF5Aは1978年のモデル。コパスカーは1975年にエマーソン・フィッティパルディの兄ウイルソンが作ったブラジル初のF1レーシングチームです。スポンサー名を取って、コパスカーと表記されていました。

チーム設立に当たって、1972年と74年にワールドチャンピオンを獲得した弟をドライバーに据えたのですが、ここまでは鳴かず飛ばずでした。コンスト ラクターズランキングを見ても、75年は無得点、76年は11位、77年は9位。そして迎えた1978年にこのF5Aを送り込んだわけです。

オートスポーツ1978年2-15号では見事表紙も飾っています。


 ベールを脱いだニュー・コパスカー、すなわちF5Aはロータスそっくり、さながら“黄色いロータス”というところである。

 ボディ・ワークはこれまでのイメージを一変させる。ロータス/フェラーリを追随したフル・ワイド・ボディを採用。フロント・サイド・ラジエーターのエア・フローを十分考慮し、なおかつボディ上面のエアをスムーズにリア・ウイングまで導くために両サイドにフィン形状を付けるなど、最新のデザイン・ポリシーを貫いている。

 このF5Aはこれまでよりずっと洗練され、戦闘力も向上し、E.フッティパルディがトップ・クラスに返り咲くのも夢ではなさそうである。
 オートスポーツ1978年3-15号にもF5Aの記事が載っています。アルゼンチンGPの「最新パドック情報」という記事です。


 コパスカーは昨シーズンのカナダを最後に姿を消していたが、大改造を施してアルゼンチンに現れた。ラジエーターはロータスのようにモノコックの両サイドにマウントし、その全体はFRPのポンツーンとなっているが、ウイング形状ではない。

 ウイング形状ではない、というのがいいですねえ。まだ前年に登場したロータス78の分析ができていかなったということでしょうか。


ただ『F1全史 1976-1980』にはマシンについてこう書かれています。

 F5(デイブ・ボードウィン設計)をグラウンドエフェクトカーに改良したF5A(ジャコモ・カリーカ率いるフライスタジオが設計担当)で参戦。

グラウンドエフェクトカーということは、当然両サイドがウイング構造になっているはず。どちらが正しいのか。たぶん後年に書かれたものなんでしょうね。もしくは最初はウイング構造ではなかったけれど、途中で改良されたとか。

結局、この年のコパスカーはコンストラクターズランキングで7位と、これまでよりはいい成績を上げるのですが、ドライバーズは9位どまり。残念ながらフッティパルディがトップ・クラスに返り咲くところまではいきませんでした。

今回のモデルですが、1978年のベルギーGP。この年の第6戦です。このレースでフッティパルディは0周でリタイアしているんですが、なぜそんなマシンをモデル化するのでしょうか(笑)。ちなみにリタイアした理由は、エンサインのジャッキー・イクスに後ろから追突されてリア・サスペンションを破損したためらしいです。

第11戦のドイツGPと、次のオーストラリアGPで4位に入っているのですから、そっちでモデル化した方がいいと思うのですが、こういうメーカーの事情って、門外漢なのでまったく分からないんですよねえ。

2012年5月14日月曜日

ヘスケス308E/ルパート・キーガン/1977年/Racing Models

昨年から「Racing Models」というブランドのモデルカーを何度か買っています。コレクション対象の1976年から80年のマシンをかなりの数、モデル化しているからです。

Racing Models

昔はミニチャンプス、最近はスパークなど、いろいろなところがこの年代のマシンをモデル化していますが、Racing Modelsの特徴は、モデル化するのがその年を代表するマシンだけではないこと。コパスカーだったりサーティーズだったりエンサインだったり。優勝してないのはもちろん、当時6位までに与えられたポイントすら獲得したことないんじゃないかと思うようなマシンがずらりと並んでいます。

ミニチャンプスやスパークは、こういうマシンはモデル化してくれません。キットになっているマシンはありますが、自分じゃ組み立てられないし。そういう意味ではかなり魅力的です。値段は正直高いのですが、他に選択肢がないのだから仕方がない。

最初に買ったのが、このヘスケス308Eでした。メーカーのサイトに直接注文したのですが、価格は本体が74ポンドで、送料は10ポンド。計84ポンドです。実際の請求金額は1万474円でした。やっぱり安くないですよね。

月曜日の朝、サイトで注文して、次の日曜日の昼に届きました。さっそく箱を開けてみました。


いきなり「注意してください」という日本語が飛び込んできました。各国語で注意書きが書かれています。裏面を見ると…


「あなたのモデルを持ち上げる心配を取ることを確かめなさい。
底を支え、表面に包装ことをからそれを取る前にモデルを置くことを確かめな」


言いたいことを理解するなら、「包装を破いて取り出すときに落とさないように気をつけてください」ということですかね。

 
箱はオレンジです。


モデルはラップで固定されていました。

正面から見て、ウィングが曲がっているのは、このラップのせいじゃないかと思うんですが(笑)。


完成度は正直「?」という気もしますが、他にないんですから、仕方がありません。いや、そんなことを言っちゃいけませんね。モデル化してくれたことを感謝しないと。

ヘスケス308E。1975年限りでF1活動を終えていたヘスケスが、1977年、1年ぶりに復帰したときのマシンです。女性のイラストがボディに描かれているのは、この年のスポンサーが雑誌のペントハウスだったから。ちなみに1978年はオリンパスがスポンサーになります。

ナンバーは「24」。となると、ドライバーはルパート・キーガンです。第12戦のオーストリアGPで7位に入っているのが最高位。前にも書いたとおり、当時の入賞は6位までなので、結局年間通じてポイントは獲得できませんでした。そんなマシンをモデル化して、どのくらいのニーズがあるんでしょうw。

『F1全史 1976-1980』を見ると、ヘスケスが参戦したのは第5戦のスペインGPから第16戦のカナダGPまでの12戦。第17戦の日本GPには参戦していません。予選落ちはないけれど、一桁順位は4回(うちキーガンが3回。最上位はキーガンの7位)。

1977年のオートスポーツをぱらぱらめくってみても、ほとんど記述はありません。たいていは予選の説明で「○位はキーガン」と書かれるくらい。いちばん文章量が多かった9-1号でも、こんな感じです。

「7列目はブラバムのH.スタックとヘスケスのR.キーガン。彼のヘスケス308Eは、フロントのラジエター配置を変え、シャシーのセッティングを変えてハンドリングがずっと改善されたという。もっとも同じような改良型だったが、チームメイトのルバック、アートルのふたりは予選を通過できなかった。」
7位に入ったオーストリアGPでさえ、レポートが掲載された10-15号ではまったく触れられていませんでした。

カラーページに写真が載っていたのは、たぶん12-1号だけでした。

キャプションはこんな感じです。

「ヘスケス308EのR.キーガンが珍しく(?)頑張って10位にはいった」

ひどすぎるよ(笑)。