Racing Models
昔はミニチャンプス、最近はスパークなど、いろいろなところがこの年代のマシンをモデル化していますが、Racing Modelsの特徴は、モデル化するのがその年を代表するマシンだけではないこと。コパスカーだったりサーティーズだったりエンサインだったり。優勝してないのはもちろん、当時6位までに与えられたポイントすら獲得したことないんじゃないかと思うようなマシンがずらりと並んでいます。
ミニチャンプスやスパークは、こういうマシンはモデル化してくれません。キットになっているマシンはありますが、自分じゃ組み立てられないし。そういう意味ではかなり魅力的です。値段は正直高いのですが、他に選択肢がないのだから仕方がない。
最初に買ったのが、このヘスケス308Eでした。メーカーのサイトに直接注文したのですが、価格は本体が74ポンドで、送料は10ポンド。計84ポンドです。実際の請求金額は1万474円でした。やっぱり安くないですよね。
月曜日の朝、サイトで注文して、次の日曜日の昼に届きました。さっそく箱を開けてみました。
いきなり「注意してください」という日本語が飛び込んできました。各国語で注意書きが書かれています。裏面を見ると…
「あなたのモデルを持ち上げる心配を取ることを確かめなさい。
底を支え、表面に包装ことをからそれを取る前にモデルを置くことを確かめな」
言いたいことを理解するなら、「包装を破いて取り出すときに落とさないように気をつけてください」ということですかね。
箱はオレンジです。
モデルはラップで固定されていました。
正面から見て、ウィングが曲がっているのは、このラップのせいじゃないかと思うんですが(笑)。
完成度は正直「?」という気もしますが、他にないんですから、仕方がありません。いや、そんなことを言っちゃいけませんね。モデル化してくれたことを感謝しないと。
ヘスケス308E。1975年限りでF1活動を終えていたヘスケスが、1977年、1年ぶりに復帰したときのマシンです。女性のイラストがボディに描かれているのは、この年のスポンサーが雑誌のペントハウスだったから。ちなみに1978年はオリンパスがスポンサーになります。
ナンバーは「24」。となると、ドライバーはルパート・キーガンです。第12戦のオーストリアGPで7位に入っているのが最高位。前にも書いたとおり、当時の入賞は6位までなので、結局年間通じてポイントは獲得できませんでした。そんなマシンをモデル化して、どのくらいのニーズがあるんでしょうw。
『F1全史 1976-1980』を見ると、ヘスケスが参戦したのは第5戦のスペインGPから第16戦のカナダGPまでの12戦。第17戦の日本GPには参戦していません。予選落ちはないけれど、一桁順位は4回(うちキーガンが3回。最上位はキーガンの7位)。
1977年のオートスポーツをぱらぱらめくってみても、ほとんど記述はありません。たいていは予選の説明で「○位はキーガン」と書かれるくらい。いちばん文章量が多かった9-1号でも、こんな感じです。
「7列目はブラバムのH.スタックとヘスケスのR.キーガン。彼のヘスケス308Eは、フロントのラジエター配置を変え、シャシーのセッティングを変えてハンドリングがずっと改善されたという。もっとも同じような改良型だったが、チームメイトのルバック、アートルのふたりは予選を通過できなかった。」
7位に入ったオーストリアGPでさえ、レポートが掲載された10-15号ではまったく触れられていませんでした。
カラーページに写真が載っていたのは、たぶん12-1号だけでした。
キャプションはこんな感じです。
「ヘスケス308EのR.キーガンが珍しく(?)頑張って10位にはいった」
ひどすぎるよ(笑)。