ラベル 優勝車 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 優勝車 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年6月22日金曜日

フェラーリ312T3/ジル・ビルヌーブ/1978/マテル


 以前、マテルからビルヌーブが乗っていたフェラーリがまとめて発売されたのですが、これもその1台ですね。

1978年のカナダGPでジル・ビルヌーブがドライブしたモデルです。カナダGPはこの年の最終戦。ビルヌーブはここでF1初優勝を遂げます。

レースはポールポジションからスタートした、ロータス79のJ.P.ジャリエが独走。2位に30秒以上の差をつけますが、49周でリタイアしてしまいます。代わりにトップに立ったビルヌーブが70周を完走し、そのままチェッカフラッグを受けるという展開でした。

オートスポーツの1978年12-15号にカナダGPのレポートより。

「地元カナダでグランプリの初優勝をとげたビルヌーブは『思ったよりずっと楽な勝利だった』と語っており、これで自信をつけ、来シーズンは大きく飛躍することが考えられる。」


2位に入ったのはウルフWR6のジョディ・シェクター。ビルヌーブはカナダ人ですし、ウルフはカナダのチーム。このGPはカナダの人たちにとってたまらないレースだったでしょうね。

ちなみにビルヌーブとシェクターはちょっとした因縁(?)が。

「このレースで2位になったシェクターは、来シーズンはNo.1ドライバーとしてフェラーリにはいることになっており、このふたりにとってはカナダ・グランプリの順位は皮肉な結果だった」

そしてフェラーリは、翌79年、ドライバーズランキングの1位、2位を独占することになります。

12-15号の表紙はマクラーレンM28でした。



拡大してもらえばわかるかもしれませんが、見出しにある「F-1の若手4人組がなぐり込み」の4人組とは「ジャコメリ、パトレーゼ、ピローニ、アルヌー」。この段階ではF2のチャンピオンだったブルーノ・ジャコメリが1番手だったんですね。F1では、ジャコメリだけが優勝していないのですが。

加えるならこの78年、ネルソン・ピケットとケケ・ロズベルグという2人の世界チャンピオンがF1にデビューしています。世代交代前夜ですね。

2012年6月12日火曜日

フェラーリ312T4/ジル・ビルヌーブ/1979/マテル


マテルのビルヌーブ・シリーズのうちの1つ、1979年のフェラーリ312T4です。5481円。ネット通販で買ったので、プラス送料ですね。

YAXON版312T4の ところでも書きましたが、1979年、この年のフェラーリはコンストラクターズランキング1位。ジョディ・シェクターとビルヌーブはドライバーズランキン グで1位と2位を独占します。312T4は、そのデザインから「醜いアヒルの子」と言われていたそうですが、個人的には嫌いなマシンではありません。

今回のモデルになったマシンは1979年の南アフリカGP。312T4が実戦に投入された最初のレースです。ここでビルヌーブは、エースドライバーのシェクターを2位に抑え、優勝しています。

レース自体はかなり盛り上がったようです。予選はターボエンジンのルノーが初ポールポジション。シェクターが2位でビルヌーブは3位です。2週目にフェラーリ勢がトップを独占したところで土砂降りとなりレースが中断します。

再スタートの時、シェクターがスリックタイヤ、ビルヌーブはウエットタイヤを選択。ビルヌーブがトップに立ちますが、すぐに雨は上がり、コースが乾いてい きます。ビルヌーブがタイヤ交換にピットインしたところで、シェクターが1位に。タイヤを交換したビルヌーブがシェクターを追う立場になります。

以下はオートスポーツ1979年5-1号より。

「30周めの時点で、2台の“フライング・フェラーリ”は3番手以下に1分の差をつけての快走である。しかし、この2台の争いはシリアスで緊張した ものだった。ビルヌーブは一周ごとにトップのシェクターの背後にジリジリと迫り、シェクターのほうは、序盤でタイヤを激しく使ったため、そのツケが回って きていたのだ。」

50周め、ホイールをロックさせたシェクターがピットイン。ビルヌーブがトップに立ちます。

「コースに戻ったシェクターは、フィニッシュするまでそれは激しいドライビングでビルヌーブを追い上げる。タイヤをいたわりながら走るビルヌーブと の差が1周ごとに縮まり、観客は周回ごとに興奮の度を高めていった。しかし、ビルヌーブとすれば、これは計算された走行だったのだ。」

そしてビルヌーブはシェクターに4秒の差をつけて首位でチェッカーを受けます。

レポートは以下のようにまとめられています。

「フェラーリ・チームにとって、ニュー・マシンでの改心の勝利であったといえよう。ビルヌーブのトラブルといえば、フィニッシュした後、車から降りるときに足首をひねったことぐらいだった。この時、ビルヌーブはいった『いや、レースって危険だね』と。」

ビルヌーブの312T4はこの号の表紙も飾っています。



2012年6月10日日曜日

マーチ761/ロニー・ピーターソン/1976/ミニチャンプス



たぶんあまり気にする人はいないと思いますが、このマーチ761は、今のところ、F1GPで優勝した最後のスポーツカーノーズマシンです。レースは第13戦のイタリアGP。ちなみにその前にスポーツカーノーズのマシンが優勝したのは第7戦のスウェーデンGP。マシンは6輪車、タイレルP34でした。

オートスポーツ1976年11-1号のレース速報より。

「決勝レースの火蓋が切って落とされた。予選10番手のピーターソンが猛烈な勢いでダッシュし、3周目にトップに立つとグンとペースを早め、2番手以降を引き離していく。」

「レースはけっきょくR.ピーターソンの完ぺきな勝利で幕を閉じた。昨シーズンいらい不振をかこっていたピーターソンにとっては、74年イタリア・グランプリ以降久しぶりの勝利の美酒を飲みほすことになった。」


ロニー・ピーターソンは1970年にマーチでF1デビュー、1973年にロータスへ移籍します。73年は4勝、74年は3勝。でも「不振をかこっていた」75年はモナコGPの4位が最高でした。

76年は、第1戦のブラジルGPこそロータスで出走しますが、ロータス77の出来の悪さに愛想を尽かし、古巣マーチへ復帰していました(そのあたりの話はスパークのロータス77のところでも触れています)。そして、このイタリアGPで2年ぶりの勝利を手にした、というわけですね。

2012年6月3日日曜日

ウルフWR1/ジョディ・シェクター/1977/ミニチャンプス


アルゼンチンGPのウィナーです。チーム・ウルフがコンストラクターとしてF1に挑んだ初めてのレース。『F1全史1976-1980』によると「緒戦で優勝した例としては過去にメルセデスベンツ('54年)があるのみだ」そうです。

オーナーはカナダの石油王ウォルター・ウルフ。1976年に資金難に苦しむ「フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ」に共同オーナーという形で参加。チームの実権を握り、翌年、チーム名を「ウォルター・ウルフ・レーシング」と変更してF1に参戦します。

デザイナーは前年のウイリアムズFW05をデザインしたポストレスウェイト。ウイリアムズFW06のときに紹介しましたが、クリス・エモンに「ヤツの頭は雲の上なんだ」と非難されたポストレスウェイトです(笑)。

前年のマシンはエモンいわく「ひどいマシンだ。いや本当にひどい」そうですが、翌年のWR1はいきなり第1戦目で優勝を遂げます。

レース本戦は1月9日に開催されました。2012年は3月18日ですから、昔のF1関係者はずいぶん早くから働いていたんですね。

「シェクターのウルフがデビューを飾る! 荒れ模様の開幕戦,77年は群雄割拠か」

オートテクニック1977年3月号のレースレポートのタイトルです。

「いきなりダッシュしたブラバム加入のジョン・ワトソン,彼を抜き去ったチャンピオンのジェイムズ・ハント,そして終盤先頭に出たカルロス・パーチェ,いずれも相次ぐ交代劇のすえシェクターに勝ちを譲った.53周のこのレース,ウイナーのシェクターは48周から6周しか1位を走らなかった.」

そんなレースだけにジョディ・シェクターにとっても予想外の勝利だった様子。

「“もしレース前に,キミが優勝候補の最右翼だよと言われたとしても,私はとっても信ずる気はなかったし,まったくこんなことになろうとはこれっぽちも考えていなかった”──ジョディ・シェクターのウルフWR1初優勝の弁である.」

実際、緒戦の勝利は「ラッキーだった」という声も多かったようです。しかし77年のコンストラクターズランキングは4位、ドライバーズランキングは2位。6戦のモナコGP、16戦のカナダGPでも優勝とシーズン通して好成績を挙げます。

ちなみにチームから離脱したフランク・ウィリアムズは、新たに「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」を立ち上げマーチ761でF1に挑みますが、この年のポイントはゼロ。テールエンダー脱出は、FW06で挑む1978年シーズンまで持ち越されます。



2012年5月22日火曜日

シャドウDN8/アラン・ジョーンズ/1977/スパーク

スパークから出たシャドウDN8。アラン・ジョーンズのドライブで、1977年のオーストリアGPで優勝しています。この勝利はアラン・ジョーンズにとっても、シャドウ・レーシング・カーズにとっても、F1で初めての(シャドウにとっては唯一の)勝利でした。

予選14位からスタートしたジョーンズは徐々に順位を上げ、16周めに2位へ。ただなかなかトップを走るハントとの差は縮まりません。ですが、残りあと11周というところで、ハントのマクラーレンM26がエンジントラブル。ジョーンズはトップに躍り出ます。

オートスポーツ1977年10-15号のレースレポートよりアラン・ジョーンズのコメント。



「前を走っていたハントがリタイアし、自分がトップになったのを知って、正直いってボクはパニックにおちいった。何しろ生まれて初めての経験なのだ。それからあとは、ただエンジンがブローアップしないように、タイヤが外れ落ちないように、と祈りながら走った」


1980年にはシリーズチャンピオンを獲得するジョーンズですが、まだ初々しいですね。

この号では「F1マシン・ヒストリー」という記事でもシャドウDN8を取り上げています。

「オーストリアで勝ったマシンはDN8の改良型である。(中略)DN8改の主な変更点は、オイルクーラーのマウント位置、およびボディのサイド・カウルの形状変更、さらにエンジン・カウルの取り外しである。」「以上の改善により、空気抵抗を著しく減少し、空力的特性も大いに向上した。その結果、走行性能向上に格段の進歩が見られた。」

記事には77年代前半のモデルと優勝したマシンを上下に並べて比較していますが、たしかに、1)オイルクーラーがフロントに移動し、2)サイドのカウルがスッキリしていて、3)エンジン上のカウルがなくなっています。これで空気抵抗が減少し、重量も軽くなったと記事は解説しています。

「その成果がDN8改で、曲がりなりにもF-1サーカスの立役者たる資格を獲得することになった」

ただスパークのミニカーを見ると、記事通り、オイルクーラーはフロントにあり、サイドのカウルも以前よりスッキリしていますが、エンジン上のカウルはついています。オートスポーツの解説記事の写真は、エンジンがむき出しのまま。どういうことだろうと思って、もう一度、オーストリアGPのレースレポートを見ると、そこに載っているDN8の写真は、スパークと同じようにエンジン上にカウルがついていました。

なぜこういうことが起きたか、同じ仕事をしているので思いつくことがないわけではありませんが、インターネットがない時代のことを今からあれこれいうのも ちょっと違うよなと年寄りなので思ったりします。そういえば、新人の頃、上司にファックスがなかった時代のことを語られて「そんなことを言われてもな」と 思ったのを思い出しました。ちなみにその上司は新人時代、コピーがなかった時代のことを語られて同じことを思ったそうです(笑)。

【追記】オートスポーツ1977年5-1号の表紙が改良前のDN8でした。これと今回のミニカーを比べると、「オイルクーラーのマウント位置、およびボディのサイド・カウルの形状変更」はわかりやすいと思います。


2012年5月14日月曜日

リジェJS-15/ジャック・ラフィー/1980/スパーク


スパークのリジェJS-15モデルを手に入れました。1980年、ジャック・ラフィーのドイツGPモデル。当時の表記に合わせるなら「西ドイツ」GPですね。

リジェJS11-15は、1979年に登場したリジェJS11を改良して、1980年に参戦したマシンです。この年のコンストラクターズランキングは、ウイリアムズに続く2位。ドライバーズランキングでもラフィーが4位、ピローニが5位に入っています。

西ドイツGPはラフィーが優勝したレースです。2位は2回、3位も2回ありますが、優勝はこのレースのみ。「成績悪いのにモデル化」というパターンに比べると、正しいプロセスだと思いますね。あ、でも、予選落ちしたマシンもモデル化するというRacing Modelsの取り組みも、それはそれで素晴らしいと思います(笑)

レースレポートが載っているオートスポーツ1980年10-15号を見てみます。


表紙はルノーRE23。表紙にもきちんと「西ドイツ」と表記されています。

表4はフェアレディZです。


雑誌というのは基本的に縦長のものが圧倒的なんですが、その広告を横長に作るというのは、なかなか挑戦的です。

「トップが二転三転、けっきょく最初にチェッカード・フラッグを受けたのは、J.ラフィーだった。やっと待望の一勝をあげたラフィーの幸運というよりもJ-P.ジャブイーユやA.ジョーンズにツキがなかったといえそうだ。」

──これがリード。身も蓋もないというか。

とりあえずポールポジションはアラン・ジョーンズのウイリアムズFW08。だけどレースが始まるとあっさりジャブイーユのルノーRE23に抜かれる。それがエンジン異常でジャブイーユがリタイア。前戦まで3連勝していたジョーンズの4連勝間違いなしというところで、今度はジョーンズのタイヤの空気が抜けて、ラフィーが首位へ。そのまま、優勝というレース展開だったようです。ウィリアムズの隆盛とターボ時代の到来を感じさせますね。


「ラフィーには喜びの表情はなく、シャンペン・シャワーのセレモニーも、レース後の祝賀パーティもなかった。『ここで勝ってもすこしもうれしくないんだ。この1週間というもの、パトリックのことで頭がいっぱいだった』とラフィーは寂しげに語った。」

パトリックとは、前年のチームメイトだったパトリック・デパイユのこと。レース前週、ドイツGPが行われたホッケンハイムでアルファロメオをテスト中にコースアウトして事故死しています。

振り返ってみると、1980年のコンストラクターズランキング1位のウイリアムズと2位のリジェのマシンは、どちらも前年の改良モデルです。そのあたりの考察がオートスポーツ10-1号に載っていました。

「ドイツまでの結果でもわかるように、ウイリアムズFW07BとリジェJS11/15が、かなりの速さを示している。この2車に共通していることは、いずれも’79年タイプの改良型であり、ニューモデルではないということだ。」


「FW07にしろJS11にしろ、その基本デザインがすぐれているということである。とはいえ、とてつもなく秀でたデザイン(ロータス80のように)という意味で、すぐれているのではない。それはこの2車が。現代のサーキット、タイヤ、エンジンそしてドライバーの技術に高い地点で妥協しているということだ。妥協という言葉が適切でないとすれば、バランスしているといってもいいだろう。」


「たとえば、ダウンフォースとドラッグのバランスにしても、FW07BとJS11/15は、ストレートでもじゅうぶん速く、コーナーでもけして遅くないという意味で、実に適切である。」

うーん、わかるような、わからないような(笑)。「高い地点で妥協している」ほうが、「とてつもなく秀でたデザイン」よりも上である、ということなんですかね。だとしたら、後者は何が「秀でている」のか、なんてことも気になってきます。

でも、その例に挙げられているのがロータス80ということは、このくだりは皮肉なんでしょうか。