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2013年8月28日水曜日

シャドウ DN8/トム・プライス/1976/スパーク



1976年の第12戦オランダGPモデルです。このレースでデビューしたDN8を駆って、トム・プライスは予選3位を獲得。本戦でも4位に入賞しています。

手元にあるオートスポーツ1976年11-1号にこんな記述がありました。

「シャドウのニュー・マシンDN8のデビューは、混乱のドン底にいるチームにしては、大いに買われるものだった。しかし、予選で3番手を獲得したT.プライスの強引なスタートは、モーター・レーシングの安全を唱える者──つまりは関係者全員──から、強い非難を受けるべきものであったことも事実である。まあ、それはともかくとして、DN8のデビューは、注目をあびるに値するものであった。」

どんなスタートかは記事には書かれていませんが、シーズン途中でロータスに移籍するトニー・サウスゲートが手がけたこのマシンはなかなかのポテンシャルを持っていたようです。実際、このマシンを改良したモデルで参戦した翌年のオーストリアGPで、シャドウはF1初勝利を飾ることになります。

タイレル007/J.シェクター/1976/スパーク



1976年の第4戦スペインGPモデルです。このレースでタイレルは六輪のP34を初めて実戦に投入します。ドライバーはパトリック・デバイユ。もう一人のドライバー、シェクターは前年モデル007での出走でした。

このレースでP34は予選3位。本戦でも25周でリタイアするものの3位を快走。その能力の高さを見せつけます。

次のベルギーGPからはP34の2台体制となるので、このモデルは、チームタイレルが実戦に投入した最後の007になるということですね。

2012年8月29日水曜日

タイレル007/O・シュトウパッヒャー/1976年/スパーク



1976年のカナダGPに、シュトウパッヒャーというドライバーが参戦したときのモデルです。カナダGPということはF1 in Japanの2戦前ですね。結果は予選落ち。星野一義のチームがスポーツカーノーズに変更したのは正解だったということでしょうか。

米国のWikipediaによると、シュトウパッヒャーはイタリア、カナダ、アメリカというF1 in Japan前3戦に参戦(笑)しています(Otto Stuppacher)。イタリアがDNS(「did not start」)、カナダとアメリカがDNQ(「did not qualify」)。イタリアGPは予選通過したけど、何かのトラブルで本戦には出走できなかったんですかね。『F1全史 1976-1980』を見るとイタリアGPも「DNQ」になっていますが。

007は、76年の星野一義モデルと77年の高橋国光モデルを持っています。このモデルはオリジナルに近い007が欲しくて購入しました。日本GPモデルは、いろいろカスタマイズされていますからね。これならオリジナルにボディーカラーも似てるし(笑)。

実はワークスも、76年の第4戦のスペインGPまで、タイレル007を使っていたりします。最近の70年代F1ブームに便乗して、どこかが76年の007もモデル化してくれませんかね。スペインGPならシート後方のエアインダクションも低くなっているはずですし。まあ、「76年のタイレルと言ったらP34」というのもわかるんですけど。

2012年7月24日火曜日

マーチ761/ハンス・スタック/1976/ミニチャンプス


1976年の第10戦、西ドイツGPモデルです。76年の西ドイツGPといえば、ラウダがひん死の重傷を負ったレースとして知られています(本戦は8月1日)。

オートスポーツ1976年10-1号を見てみます。予選は何位くらいなんだろうと思って調べていて、意外な発見。西ドイツGPでマーチ761、予選4位なんですね。てっきり予選落ちとのボーダーラインかと思って下の方を探していたので、ちょっと驚きました。

1位がマクラーレンM23のハント、2位がフェラーリ312T2のラウダ、3位がタイレルP34のデバイユ。そしてデパイユの横には「今シーズンF-1で実に久しぶりの活発な動きを見せたH.スタック。タイムは7分09秒1で、前3者に遜色ない」。すばらしい。やっぱりこの年のマーチ761はそれなりの戦闘力があったんですね。

ただ本戦のレポートには名前は出てきません。「F1全史」で確認してみると、1周目でリタイアしていました(笑)。

ストックにとって予選4位というのは、この年の最高位。第1戦ブラジルGPと第6戦モナコGPでは本戦で4位に入っていますので、予選4位から一気に表彰台、と行きたかったところですが、残念ながらそうはいかなかったようです。

2012年7月15日日曜日

ルノーA500/ー/1976/スパーク


スパークから出ている「Renault Alpine A500 test car 1976」です。「Alpine A500 1976/F1 Renault 1st Prototype laboratoire」というモデルを持っていますが、こちらは「test car」。実際にテスト走行をしたモデル、ということのようです。

オートスポーツ1976年9-1号にこのマシンの記事が載っています。




「5月13日、レジェ・ルノーは、彼らの活動に正式に1.5リッター・ターボ付きF-1エンジンの開発を加えることを発表した。“ルノー、F-1エンジンのテストを開始”と題されたプレス・レリーズの内容は、以下のようなものである──」


これからルノーがどうターボに取り組んでいるかという話が始まるのですが、ここにA500の話が載っています。プレスリリース(記事の中の言葉を借りるならプレス・レリーズ)の一文です。

「タイプA500と呼ばれるシャシーは、あらゆる種類のエンジン(インディ、F-1、F-2)搭載が可能なようにデザインされており、“ローリング・ラボラトリー”と異名をとる。トラック・テストもすでに行われており、7月までにはより一層のスピードアップがはかられる予定だ。そしてその結果で、ルノーとエルフはこの新しいF-1エンジンの市販を行なうかどうかを決定する。」
「ルノー・ゴルディーニのエンジニアは、このA500シャシーはあくまで“ラボラトリー(実験室)”であり、実戦には登場しないことを強調している。」

この段階ではあくまでもエンジンサプライヤーとしての参戦を考えていたみたいですね。記事もこのエンジンが「1977年のF-1グランプリに登場することは、ほぼ間違いない」としています。「どのチームに、どれだけの期間エンジンを供給するかについては、6月の末に発表することになっている」。誌面ではマルティニ、リジェ、そしてタイレルと予想していますが、実際は、シャシーも自ら作り、参戦することになるわけです。


2012年6月26日火曜日

ルノーA500/ー/1976/スパーク


1976年、ルノーが77年のレース計画を発表したときに登場したF1のプロトタイプです。スパークのミニカーで、台座には「Alpine A500 1976/F1 Renault 1st Prototype laboratoire」とあります。A500というのは、ルノーが5月にF1計画を発表したとき、シャシーについていた名前ですね。

オートスポーツ1977年2-15号にこのモデルの写真と、「ルノーの77年計画 ターボチャージャーを多用、F-1にもなぐり込み」という記事がありました。


記事の本文には「1977年の最大の目標はル・マン」とあるのですが、リードにはF1のことしか書いてありません。


「ルノーが開発を急いでいた“ターボF-1”が、ついにF-1シーズンに登場することになった。1900年代のはじめに一時、ルイ/マルセルのルノー兄弟が活躍したことがあるが、本格的なグランプリ参戦ははじめて。1.5ℓ+ターボがどんな働きを見せるか楽しみではある。」

本文には「デビューは6月19日のスウェーデン・グランプリの予定。」と書いてあります。ですが、4-1号を見ると「デビュー戦は夏(おそらくフランス・グランプリ)ということになっている。」と変わっています。

「ルノーは1906年に行われた世界最初のグランプリ・レースに優勝をとげ、世界のグランプリ・レースの歴史に最初の1ページをしるしたが、それから数えて70年ぶりのグランプリ復帰ということになる。」

実際にはルノーのひさしぶりのF1参戦は、さらに遅れて、フランスGP(7月3日)の次、7月16日のイギリスGPから、ということになりました。

それにしても、「1900年代のはじめ」とか「70年ぶりの」とか、記事に書かれているタイムスケールがかなり大きめです。それを考えると、確かに30日くらいの違いは誤差みたいなものですね。

2012年6月10日日曜日

マーチ761/ロニー・ピーターソン/1976/ミニチャンプス



たぶんあまり気にする人はいないと思いますが、このマーチ761は、今のところ、F1GPで優勝した最後のスポーツカーノーズマシンです。レースは第13戦のイタリアGP。ちなみにその前にスポーツカーノーズのマシンが優勝したのは第7戦のスウェーデンGP。マシンは6輪車、タイレルP34でした。

オートスポーツ1976年11-1号のレース速報より。

「決勝レースの火蓋が切って落とされた。予選10番手のピーターソンが猛烈な勢いでダッシュし、3周目にトップに立つとグンとペースを早め、2番手以降を引き離していく。」

「レースはけっきょくR.ピーターソンの完ぺきな勝利で幕を閉じた。昨シーズンいらい不振をかこっていたピーターソンにとっては、74年イタリア・グランプリ以降久しぶりの勝利の美酒を飲みほすことになった。」


ロニー・ピーターソンは1970年にマーチでF1デビュー、1973年にロータスへ移籍します。73年は4勝、74年は3勝。でも「不振をかこっていた」75年はモナコGPの4位が最高でした。

76年は、第1戦のブラジルGPこそロータスで出走しますが、ロータス77の出来の悪さに愛想を尽かし、古巣マーチへ復帰していました(そのあたりの話はスパークのロータス77のところでも触れています)。そして、このイタリアGPで2年ぶりの勝利を手にした、というわけですね。

2012年5月14日月曜日

マーチ761/ビットリオ・ブランビラ/1976/JOHN DAY

JOHN DAYのマーチ761を手に入れました。1976年のF1マシン。この年、マーチは4台が参戦していますが、そのうちのビットリオ・ブランビラのマシンです。

ブランビラはウェットコンディションのレースにめっぽう強かったことから、「雨の帝王」という異名を持つドライバー。この761を駆って、雨のF1 in Japanでも6周に渡りトップを走りました(結果はリタイア)。歳がばれますが、このレースは現地で観戦していて、ずいぶん興奮したのを覚えています。マーチ好きだったんですよ。判官贔屓なもので。

マーチはマシンを制作し個人ドライバーやレースチームにマシンを売るというレーシングメーカーです。1976年も5人のドライバーがこのマシンを駆って(買って?)F1に参戦しました。ちなみにそのうちの1人、ハンス・J・シュトックのスポンサーは、このミニカーを作っているJOHN DAY MODEL CARSでした。ミニカーメーカーがF1のチームを持てる、いい時代だったんですね。

ちなみに「雨の帝王」というのは、本当に彼の異名だったのかな(笑)。日本語版のウィキペディアには「雨の魔術師」という書かれていますが、英語版のWikipediaには「his nickname was "The Monza Gorilla"」としか書かれていない(日本語のウィキにも「その強面の容貌と荒々しい走りから、『モンツァゴリラ』の愛称で親しまれた」とあります)。「Particularly adept at driving in wet conditions,」と書かれていますから、雨のレースに強かったのは間違いないようですが。

Vittorio Brambilla

ブランビラのマシンはミニチャンプスの751も持っています。1975年のオーストリアGPのモデルです。

雨のため54周の予定が29周で終了となったこのレースでブランビラは生涯唯一の優勝を遂げています。で優勝が決まって「思いがけぬチェッカード・フラッグに、片手を挙げて応えた途端、コントロールを失ってスピン→クラッシュ。前部をメチャメチャにしたマシンでウイニング・ラン」をしたそうです(『F1全史1971-1975』より)。いい味出してますねえ。ちなみにレースがほぼ半分で終わったため、ブランビラに与えられた得点は通常の半分でした。