2012年11月11日日曜日

タイレル009/D.ピローニ/1979/スパーク



タイレル009は1979年に投入されたマシンです。『F1全史』は「ロータス79をコピーしたかのような新型009(モーリス・フィリップ設計)は改良型ロータス79より良い出来だが、個性なし」とばっさり(笑)。

それでもエースドライバーのジャン・ピエール・ジャリエと、2ndドライバーのディディエ・ピローニは2回ずつ表彰台にのぼっています(すべて3位)。ピローニが最初に表彰台にのぼったのが、今回モデル化された第6戦ベルギーGPでした。

ベルギーGPのレースレポートが載ったオートスポーツ1979年7-15号を見てみます。

ピローニの予選結果は12位。11位はチームメイトのジャリエでした。

「6列目はタイレル009のジャン・ピエール・ジャリエとディディエ・ピローニ。比較的順調に予選を進め、ほとんどトラブル・フリーだった。」

実は名門タイレル、ここまでメイン・スポンサーがありませんでした。予選でブレーキ・フェードが発生した点について、ジャリエはこんなふうに答えています。

「『新しいスポンサーがつかなくても、ブレーキの交換くらいはやる余裕があるよ』とジャリエはジョークを飛ばす。このベルギー・グランプリ前に決まったメイン・スポンサー“キャンディ”(洗濯機や食器洗機を作る家電メーカー)のレタリングがボディに書込まれている。」

「Candy」というロゴが描かれたのはこのGPから。つまり、このレース以前の009をモデル化した場合は、ただ「Tyrell」とだけ書かれた青いマシンになるわけです。それはそれでほしい気もします。

レースはフロントローを独占したジャック・ラフィーとパトリック・デパイユのリジェJS11に、アラン・ジョーンズのウイリアムズFW07が挑み、首位を奪います。しかしマシントラブルでジョーンズはリタイア。2台のリジェは3位のシェクター(フェラーリ312T4)に10秒以上の差をつけます。

シェクターに迫るのが、ウルフWR8のジェームズ・ハントと、2台のタイレル。41周目、ピローニがハントをぬいた直後、ハントがジャリエを巻き込んでスピン。ハントはリタイア、ジャリエも順位を落とします。

首位を走っていたデパイユがリタイヤした後、シェクターがラフィーとの差を詰め、54周目に逆転。この時点でピローニは3位を走っています。ですが、後続の猛追を受けることになりました。

「観客をわかせたのは、このシェクターだけでなく、ビルヌーブの追い上げのほうがさらに歓声は大きかった。ビルヌーブはパトレーゼ──マイペースでジワジワと4番手に浮上して4番手に浮上していた──を抜き4番手に、そして3番手のピローニとの差もグングンちぢめ、残り8周というところでフェラーリがタイレルの前に出た。2番手のラフィーとは20秒もの差があったが、これも1周2秒の割でつめていく。」

ただ、ここでフェラーリのエンジンに異変が生じます。

「シケインのところでビルヌーブはフェラーリのフラット12エンジンの息つきを感じた。しかし、ストレートに出るとエンジンは再び吠えつづける。ここでビルヌーブは落ち着いて車をゆすらせ走らせ、タンク内のガソリンを1滴たりとも残さずピックアップしようとしたのだ。」

ビルヌーブは2位をあきらめ、3位を確保する作戦に変更します。ですが……。

現実は、レースは、勝負は無情であった。ビルヌーブのフェラーリは、ついにガソリンを飲みつくし、グランドスタンドから見える最終コーナー手前でストップしたのである。ビルヌーブは車を降り、なおもフェラーリを押し進めようとしたが、時すでに遅かった。」

コースでストップをしたビルヌーブを横目に、ピローニはゴール。F1で初めて表彰台にのぼります。

翌1980年、ピローニはリジェに移籍し初優勝を遂げると、1981年にはビルヌーブがエースドライバーを務めるフェラーリへ移ります。その後の2人の関係は、ご存じの通り。チーム内で2人は対立し、その関係がビルヌーブの事故死の遠因になったと言われています。