2012年7月22日日曜日

リジェJS11/ジャック・ラフィー/1979/RBA


RBAのリジェJS11。ナンバー26なので、ジャック・ラフィーのモデルです。

1976年のF1参戦以来、ラフィーの1台体制を続けてきたリジェですが、この年から2台体制へ移行。新たにチームに加わったパトリック・デバイユが「25」と、ラフィーより若いナンバーをつけています。ただレースレポートをぱらぱら見ている限りは、デパイユがエースドライバーというわけではないみたいですね。ラフィーはずっと26番をつけていたので、そこにこだわったということなのでしょうか。

2台体制に移行しただけでなく、このシーズン、リジェは前年まで使い続けていたマトラV12に見切りをつけ、エンジンをDFVに替えて、ロータス79ライクのJS11を投入します。そしてデビュー戦のアルゼンチンGP(1月21日)でいきなりそのパフォーマンスを見せつけました。

「2台のリジェが他のチームより1周で1〜2秒速いのだ。これまで、アルゼンチンのサーキットにこれほどの“ニュー・カー”が並んだことはない。」

オートスポーツ1979年3-15号のレースレポートからも、その驚きが伝わってきますね。

「けっきょくリジェが2台でフロント・ロウを占めることとなった。リジェのこの鮮烈なパフォーマンスは、ちょうど1年前のロータスをほうふつとさせるものがある。」

レースでは予選2位のデパイユが首位に立ち、ポールポジションのラフィーはスタートを失敗して4位へ。しかし徐々に順位を上げ、11周にはデパイユを抜いて首位に立ちます。そしてそのままゴールへ。本人にとっても「楽勝」だったようです。

「優勝したラフィーは『信じられないくらい簡単に勝った。ラップをあと1秒ちぢめて走ることもできたほどだったんだ。問題があったとすれば、集中力を最後まで持続しながら凡ミスをやらないように走りつづけなければならなかったことくらいかな』と感想を述べ、これから寒い雪のフランスへ帰るという。2週間後にブラジル・グランプリを控えているのにである。そのわけを「カミさんと約束してきたんだ。もし優勝すれば、娘に会いに帰るってね」と話すラフィーは、サンデー・ドライブを終えた男が見せるようにリラックスしていた。」

リジェJS11は続くブラジルGP(2月4日本戦)でもフロント・ロウを独占。一時帰宅で鋭気を養った(?)ラフィーは2連勝を飾り、前戦では4位だったデパイユも2位と表彰台をゲットします。

3-15号の表紙はまさにその2台が走る姿です。ただデバイユが前を走っているのがご愛敬。


ただリジェのひとり勝ちはここで終了。翌戦からシェクター&ビルヌーブのフェラーリ312T4が調子を上げはじめ、シーズン後半になるといよいよチーム・ウイリアムズが頭角を現します。