2012年6月19日火曜日

タイレル008/パトリック・デバイユ/1978/RBA



タイレル008は、タイレルが6輪車の次に投入したマシンです。

このミニカーのブランドは「RBA」。ネットを検索すると、海外の分冊百科についてきた付録とあります。そうなんですか。うちにも何台かありますが、どれもネットオークションで手に入れたので、そんな氏素性は気にもしていませんでした。

1976年に初登場し、センセーショナルを巻き起こしたタイレルの6輪プロジェクトですが、翌77年には失速。あっさり6輪を断念したタイレルが、78年に投入したのが008でした。

デザインしたのはモーリス・フィリップ。ロータスにいたデザイナーです。

オートスポーツ1978年1-1号の紹介記事には、ロータス時代、「彼の製図板で描かれたレーシングカーのものがたりは、優に1冊の本になるほどだ」と書かれています。その中にはロータス49や72も含まれます。

「どれがチャップマンの手になり、どれがフィリップのものかははっきりしていないが、フィリップのデザインになるもののほうが多いことは間違いのないところだ。」


71年にロータスを離れ、パーネリと契約。その後、フリーとなっていたところに、ケン・タイレルに声をかけられたようです。

記事に載っていたフリー時代のエピソードがいい感じでした。

1976年、フィリップはブランズハッチでハンドリングの悪いコパスカーと格闘しているフィッティパルディを見て「いったいどんなぐあいなのだい……」と声をかけます。

「けっきょく。彼はコパスカーのシャシー・コンサルタントになることとなり、シャシー、サスペンション、冷却系、オイル系などについて助言をするこ ととなった。彼のおかげで、コパスカーは予選を通過するようになり、けして速くはないが、それでも非常におそいという状態から脱出することとなった。」

「けして速くはないが、それでも非常におそいという状態から脱出する」…誉めてないなあ(笑)。

1-1号は表紙もタイレル008。さらに2ページのカラーグラビアも掲載されています。



「ウワサのニューF-1“タイレル008”がようやくイギリスでベールを脱いだ。この日を待ち構えていた内外のモータースポーツ記者は、肌寒い秋雨の降る日であったにもかかわらず、発表会の行われたクランドン・パークにつめかけ、カメラのシャッターを押しまくる。もちろん、本誌特約員のJ.ハッチソン氏もこの008を撮り終えるや、500ccのオートバイに打ちまたがりカラー現像所に飛び込む。そして現像ができるとわがAUTO SPORTに送る速達便をかかえて郵便局に走り込んだのであった。」

これでグラビア記事の半分は終了(笑)。詳細については「フル・レポートは1/15号に掲載します。お楽しみにお待ち下さい。」。引っ張るなあ。

とりあえず008の特徴については、こんなふうに説明されていました。

「タイレル008はM.フィリップスが設計した野心作であり、正統派かつ現在のポイントを押さえた完成度の高い、いかにも即戦力の高そうなマシンである。」

「正統派」「現在のポイントを押さえた」マシンなのに「野心作」ですか。ただ「即戦力の高」いマシンであることは間違えありませんでした。

第1戦のアルゼンチンGPが3位。第3戦南アフリカGPで2位、第4戦のロングビーチGPは3位で、第5戦モナコGPでついに優勝。こうして振り返ると驚異のスタートダッシュです。ただ第6戦以降で表彰台に上がったのは第12戦のオーストリアGP(2位)のみでした。第6戦ベルギーGPから登場した、本物の「野心作」、ロータス79の前に影が薄くなった、という見方はひねくれすぎですかね。