2012年5月17日木曜日

アルファロメオ179/?/1980/ポリスティル


アルファロメオ179。1980年のF1マシンです。ポリスティルの1/41モデル。

基本的には、こういう古いミニカーを集めるのが好きです。レースまでしっかり想定して再現している最新のモデルもいいですが、思い切りよくデフォルメしていて、グランプリどころかドライバーだって考えてないんじゃないかというような昔のミニカーも、オモチャらしくていいんじゃないかと。

このアルファロメオはまさにその典型ですね。誰のマシンかわからないのです(笑)。

フロントノーズに描かれているナンバーは22です。これは第8戦のイギリスGPまでならパトリック・デパイユのマシンのナンバーなのですが、デパイユは第9戦の西ドイツGP前のテストラン中に事故死しています。その後、第12戦のイタリアGPではビットリオ・ブランビラが、第14戦のアメリカGPではエリオ・デ・チェザリスが、それぞれナンバー22のマシンに乗っている。つまり、そのどちらかという可能性もあるわけです。

さらに悩ましいのはボディ横には「23」というナンバーが書かれていること。


23だとすると、これはブルーノ・ジャコメリのマシンということになります。

さて、これは誰のマシンなのでしょうか。

1980年のアルファロメオはコンストラクターズランキングで11位。ドライバーズランキングはジャコメリが17位と冴えませんが、最終戦のアメリカGPでは見事予選1位を獲得しています。以下はオートスポーツ1980年12-1号の「USイースト・グランプリ」レポートより。


「今回の予選で驚いたのはB.ジャコメリ(アルファロメオ179)の活躍だった。チーム内では彼の評判はけしてよいものではないといわれているが、彼は心に期するものを秘めてワトキンスグレンにやってきた。1日めにベスト・タイムを出し、2日めも抜群のタイム(昨年のポール・タイムより2秒近くも速い)を出して2番手以下に1秒近くの差をつけた。『すべてが同時にうまくいったのは今回が初めてだ』とブルーノ。いまや彼に望まれるのは、レースでフィニッシュすることである。」

スタートもうまくいきます。

「スタートはジャコメリのものだった。赤と白のマルボロ・カラーに彩られたアルファロメオ179がまずリードを奪う。」

「ジャコメリのアルファロメオは、ソフトなBタイヤをはかせていたのが功を奏し、シケインでも意のままにラインがとれたという。2番手につけるピケットのブラバムは、ややスライド気味で、シケイン出口では大きくはらみ、数周するとトップとの差は3秒と開いていた。ピケットにすれば可能な限りのドライビングをしていたが、それでも離されるいっぽう。ジャコメリが何かミスでもしないかぎり捕まえるのはまず不可能だった。」

「ジャコメリは『トップを走るのがこれほど容易なこととは信じられなかった。ハンドリングは完璧だったし、もっとペースを上げようと思えばそれも可能だった』というほどで、ピットサインでジョーンズの追い上げを知るとペースを上げ、その差を13秒とする。」


しかし、ジャコメリの179は最後まで走りきることはできませんでした。トップを快走中の32週目にエンジントラブルでリタイヤしてしまいます。

結局、ジャコメリはF1では1勝も挙げることなく引退することになります。