2012年9月22日土曜日

最後のスポーツカーノーズ?


マーチ761Bについて調べていたとき、『F1全史1976-1980』の中に「マシンは前年の改良型、761Bを使用。シェクターのみ、後半戦は771を使用」という文章を見つけました。巻末のリザルトのページを見ると、第13戦のオランダGPから第16戦のカナダGPまでシェクターはマーチ771に乗っているようです。どんなマシンなんだろう。

オートスポーツ77年11-15号のイタリアGPレースレポートにちょっとした記述がありました。

「9列めはワークス・マーチ711のイアン・シェクターとATSペンスケPC4のJ.P.ジャリエ。イアンは20位以内でクォリファイされたのでうれしそうだ。グランプリ・レースの舞台がヨーロッパに移ってから、彼が20位以内で予選を通過したのはこれが2度目なのだ。彼のマーチ771は新型で、ホイールベースが長く、燃料タンクが中央部に、そしてラジエターのレイアウトにも変更が加えられているほか、リア・サスペンションのジオメトリーが調節式になるなど、かずかずの改良が行なわれている。」

写真も2枚載っていますが、2枚とも細部のアップ。これは外観の変化がないということですかね。

ネットに写真がありました

「ラジエターのレイアウトにも変更が加えられている」というのは、スポーツカーノーズの中にラジエターを持ってきたということみたいですね。

こっちにもいろいろありますね。

何度か書いていますが、スポーツカーノーズのF1マシンは1977年を最後に姿を消します。型番が違うということは、厳密に言うと、8月28日のオランダGPに参戦したマーチ771が最後に登場したスポーツカーノーズマシン、ということになるんですかね。個人的にはそこが気になるところで(笑)。

2012年9月17日月曜日

ウルフWR1/ケケ・ロズベルグ/1978/ミニチャンプス



1978年に参戦したケケ・ロズベルグのモデルです。

ケケはこの年、第3戦の南アフリカGPでセオドールからF1デビュー。セオドールから4戦出走し、第8戦のスウェーデンGPからはATSで3戦、そして第11戦の西ドイツGPからの4戦はウルフで参戦します。さらに最後の2戦はATSに戻っています。

というわけで、このミニカーは、西ドイツGP(10位)、オーストリアGP(11位)、オランダGP(リタイア)、イタリアGP(リタイア)のどれかのようです。

とりあえず最上位の西ドイツGPの話が載ったオートスポーツ1978年10-1号を見てみます。ケケは予選19位。「ケケはウルフWR1で予選通過」と本文中の見出しにもなっていました。

「ケケ・ロズベルクがついに予選を通過した。マシンはごく最近にテディ・イップが買い入れたウルフWR1である。乗り慣れないマシンでこの成績は上じょうといいたい。少なくとも20番手のブランビラよりはいい出来だったのだから……。」

ケケに対する好感度の高さがうかがわれる文章です。レースの結果に関してもそれは共通しています。

「ロズベルグが2周めのピットインにもかかわらず、10位とよく健闘してくれた。」

好意的なのは、当時から彼の才能が評価されていたからですかね。


2012年9月9日日曜日

1976年のロリス・ケッセル


アポロンのロリス・ケッセル君、1976年のレース結果を見ていたら、名前を見つけました。ブラバムBT44で参戦していたんですね。

第4戦スペインGP(予選落ち)、第5戦ベルギーGP(12位)、第7戦スウェーデンGP(リタイア)、第8戦フランスGP(予選落ち)、第11戦オーストリアGP(規定周回数不足で順位なし)。以上5戦です。

ベルギーGPは70周のレースで63周完走。これがいちばんいい成績ですね。

2012年9月2日日曜日

アポロン/L・ケッセル/1977/Racing Models



1976年から1980年のF1ミニカーに限定して収集しているので、この年代のF1マシンは一通り把握しているつもりでした。Racing Modelsのサイトでこのマシンを見るまでは。

 Apollon Cosworth 1977 Loris Kessel

Apollonというチームで、ドライバーはLoris Kesselということなんでしょうが、まったく知りません。

1977年と言えば、ロータス78が登場したいわゆるウイングカー元年です。日本GPも富士スピードウェイで開催されています。実際、レースも見に行きました。この年はマイナーチームまで把握していたつもりだったのですが。

製品の解説には以下のように記されています。

The ill fated Swiss Apollon Cosworth F1 (Williams FW03 based) as raced in 1977 by Loris Kessel.

スイスのチームが、ウイリアムズの昔のマシンをカスタマイズしたマシンみたいですね。

「Apollon Cosworth 1977」でGoogle検索してみると、一番上にRacing Modelsのページがでてきます。画像検索に切り替えると、Loris Kesselのまとめサイトが見つかりました。そこに何枚かApollonらしき写真が載っています。

USのWikipediaに「Apollon (Formula One)」という項目がありました。

RAMのドライバーだったLoris Kesselが、自分をウイリアムズに売り込んだんだけど、採用されず、そのかわりに古いマシンを売ってもらった。でスイスのThe Swiss Jolly Clubに話を持ちかけて、チームを作った、という経緯のようです。改良したのは元フェラーリのデザイナーGiacomo Caliri。コパスカーとかATSをデザインした人です。なんとなく路線が見えてきました(笑)

参戦したのはイタリアGPだけみたいです。「F1全史」のリザルトページを見てみると、たしかに予選不通過の中に「L・ケッセル」という名前があります。マシン名は「ウィリアムズFW03・フォード」。これのこと、みたいですね。

念のために当時の雑誌も見てみます。「オートスポーツ」1977年11-15号です。


イタリアGPの予選結果を見ると、確かにケッセルの名前がありました。予選最下位です。1位はハントのマクラーレンM26で1分38秒08、最下位で予選を通過したのがマーチ761のP・ニーブで1分40秒52。ケッセルのタイムは1分46秒68ですから、これはつらい。ちなみにここでも表記はウイリアムズFW03。


記事本文で予選落ちのマシンたちに触れている段落でも、ケッセルの名前は出てきません。

「コパスカーF5のE.フィッティパルディ、エンサインN177のB.ヘントン、マーチ761のA.リベイロらは予選に落ち、決勝レースへの進出はならなかった。」

ケッセルは「リベイロら」の「ら」扱いになっています。

本棚を見たら1977年の「オートテクニック」もあったので、11月号を開いてみましたが、やはり予選結果以外に記載はありませんでした。「ら」すらなしです(笑)。

確かに当時のF1はプライベーターが型落ちのマシンを購入して参戦するということがよくありましたが、それにしてもFW03は1974〜75年のマシンですからねえ。ちょっと古いような気がします。

あ、でも75年ということはタイレル007と同じか。高橋国光もそれで1977年の日本GPに挑戦していますから、それほど異例ではなかったのかな。元のモデルをモディファイして、トップチームに一泡吹かそうと考えた。そう考えると急に愛おしくなってきました(笑)。

あと悩ましいのは、このマシンのチーム名ですね。高橋国光のマシンを「タイレル」に分類している以上、これも「ウイリアムズ」にすべきなのかとも悩みましたが、せっかくですので、アポロンにすることにします。

ネットで実車らしい写真を見つけたので、アップしておきます。


白黒なのが残念だなあ。